愛は百薬の長

わんわんにのちゃんを愛でる @619O319

覚悟はできてるぜ!


出逢って数年 あれは偶然な気もするね 気付けば10年


このフレーズをまさかわたしが使えるようになるなんて、10年前のわたしは思ってなかっただろうと思う。
飽き性で三日坊主、長く何かに打ち込むことがとにかく苦手だったわたしの熱が、日を追うごとに熱量を増しながらここまでくるなんて、他でもないわたし自身がいちばんびっくりしてるよ。



そんなこんなで、嵐担になって丸10年が経ちました。
ブログにするまでもないかなとは思ったけど、これは10年彼らをわたしなりに追いかけてきたことの証明であり、これからも追いかけ続けるであろう未来の自分への覚悟の記録として残します。




今思い返せば、突然穴に落ちたような感覚すらもなかった。気付いたら嵐に巻き込まれていた、そんな感覚に近いと思う。音楽番組で歌って踊る姿は確かにアイドルで、だけどステージを降りたらどこにでもいそうな雰囲気の仲良し5人組になる彼らが好きだった。そんな高校生みたいな感性のまま、深夜番組で金箔塗ったりパンダになったり、赤ちゃんになってなりきりトークしたりする嵐が大好きだった。

小5ながらに「バカだなぁ」って思える嵐のその雰囲気こそが、嵐の強みだと思っていた。



話は変わるが、わたしは美世界コンの二宮くんの挨拶が大好きだ。初めて行ったコンサートで、キャパオーバーになるくらいのプラスの感情を貰って溺れかけていたわたしが聞いたその挨拶は、

「嵐の見たい嵐がここにありました。僕にとってのビューティフルワールドは、この5人で見るこの景色です。」

というものだった。

ああ、この人たちほんとに自分たちのことが大好きなんだなぁと、キャパオーバーしていた頭の片隅でぼんやり思ったのを今でも覚えている。


最初の数年は、この5人の雰囲気が好きだという気持ちだけを片手に、年々増していく勢いに振り落とされないように必死にしがみついていたと思う。きつく握りすぎて手がマメだらけになっていることにも気が付かないくらい、その痛みよりも楽しさのほうが勝っていた。

やっと周りが見えるようになった頃、「あの頃の嵐じゃなくなった」という声があることに気付いた。確かに、あの頃わたしが好きだった深夜番組はなくなっていたし、それに伴ってバカみたいなことをする彼らもいつの間にか姿を消してしまっていた、と思った。


でもよく考えれば嵐はそういうグループだった。
わたしが彼らの戦略性に気付いたのはこの頃で、ファンが嵐を好きだという以前に嵐は「誰よりも俺ら自身が溺愛」と歌っていたし、そんな嵐自身が嵐を好きだという事実を5人それぞれが手にして「"マイク持つアイドル大国"奪い取る」と「"研いだ爪隠し牙を剥く"」とわざわざ宣戦布告をしているようなグループだった。

この時初めて、全部彼らの戦略通り進んでいるんじゃないかといい意味でぞっとした。
テレビではアイドル模範生徒のように振る舞う嵐が、"研いだ爪隠し牙を剥く"そのタイミングを、地盤を固めた上で虎視眈々と狙っていたという事実。


わたしの好きになった頃の嵐は影を潜めていたが、このアイドル模範生徒らしからぬ戦略性はむしろ好きだった。

もう、あの頃のように「バカだなぁ」などと軽々しく言えるグループではなくなっていた。というより、彼らは最初から「バカだなぁ」と言っていいようなグループではなかったのだと気付かされた。もっと言えば、一般視聴者に「バカだなぁ」と言われることも含め戦略だったのかもしれない。



虎視眈々とタイミングを狙っていた嵐が牙を剥いてから、トップへの階段を駆け上がるスピードは凄まじかったと思う。頂上だと思っていた場所から、また新たに階段を作って登っていく嵐は、わたしの好きな嵐以外の何ものでもなかった。

そんな最中、「降りていく景色も一緒に見たい」と語ったのは、かつて「トップになりたいって夢、絶対叶えようね」と涙ながらに言った相葉くんだった。


「絶対にトップになる」「素晴らしい景色を見せる」と言ってくれるアイドルはたぶん他にもいるし、もちろん嬉しい。でも「降りていく景色も一緒に見たい」と言ってくれる、言えるアイドルはそうそういないと思っている。なぜなら、その景色はきっと彼らにとってもファンにとっても楽しいだけのものではないから。

だけど嵐はそう言ってくれた。ちゃんと自分たちの、嵐の終わりを仄かに意識した発言は確かに悲しくもあったが、それは絶対に中途半端に嵐を投げ出したりしないということの証明だった。嵐は誰一人として嵐を投げ出さないし逃げ出さない。嵐の終わりは嵐5人で決めるという約束のような言葉だとわたしは思っている。


嵐はしぶといグループだ。自分たちの終わりの瞬間を考えている癖に、まだ何も諦めていないし今の場所を譲る気なんてさらさらない。

もはやあの頃の嵐の戦略にはなかったベクトルまで来ているのかもしれない。戦略の書かれた指南書はもう使い物にならないのに、嵐はそんな未知のベクトルで今もなお戦い続けている。



だから、嵐がそのリングを、ステージを降りるときまで見守りたい。その瞬間の5人の顔を見るまでは死ねない。あわよくば幸せな顔をしていてほしい。嵐が終わるときまで嵐のファンでいたい。


わたしが嵐を追いかけたこの10年は、嵐の20年の中でもいちばん脂の乗っている時期だと思う。だからこそ、美味しいとこだけ頂いてあとは見ないふりをするなんてことはわたしの美意識に反する。それ以前に、わたしがわたしの意思でまだ嵐を見ていたいと思う。一瞬たりとも目を離したくないと思う。



10年見てきた分、これから先起こる楽しいことも悲しいことも全部受け止める覚悟は、とうの昔にできている。