二宮くんのわがまま
二宮くんがわがままを言った。
二宮くんは、いつも飄々としていて、器用で、超現実主義者で、ステージ上では息を呑むほど綺麗に笑って、人も食べ物も好き嫌いが割と激しくて、小さい嘘をぽろぽろつくし、後輩を可愛がるよりも先輩によく懐くおじさんキラーで人たらし、それ故にかわいいわがままをよく言う、そんな人。
これは、そんな二宮くんが言った、かわいくて切ないわがままについての備忘録です。
2020年12月31日、嵐活動休止前のラストライブ「This is 嵐」が配信になりました。
今まで見てきたどの瞬間よりもきらきら輝く5人と、最高のパフォーマンスと最強の演出。どこを取っても素晴らしかったこのコンサートの終盤、ひとりひとり挨拶をするシーンで二宮くんはこんなことを語ってくれました。
皆さんありがとうございました。
今この天井にみんなのメッセージが出ていて、「ありがとう、いつかまた」「5人で嵐」「嵐ありがとう」と、本当に無数のメッセージを頂いております。でも本当に「ありがとう」を言わないといけないのは我々の方で……
こういう状況になり、我慢をするということが普通になってきたこの世の中で、コンサートひとつ取っても形を変えながらやっていく中で、それでも楽しんでくれるみんながいたから2020年走り抜けることができました。本当にありがとうございます。そして、勿論こういう仕事をする上でリスクを承知で僕らを支えてくださったスタッフの皆様、本当にありがとうございます。
本当にこういう場所に立てて、楽しくコンサートができるというのは、幸せ者だなと改めて感じています。
きっとここまでは、「我々」「僕ら」という一人称の通り"嵐の二宮和也"の言葉だろうなと思う。
冒頭にも書いたけど、二宮くんは小さい嘘をぽろぽろつく人です。家が天空にあるとか、自宅のお風呂が50メートルプールくらいの面積だとか、ルンバを120台所有しているとか。
そんな二宮くんが、ここまでの挨拶で"本当に"という語を5回も使っていること。無意識なのかは本人にしかわからないけれど、この挨拶だけは偽りなく伝えようという気持ちが現れているように思いました。
だって二宮くんは、"嵐の"という枕詞が付くと途端に真っ直ぐに誠実になる人だから。嵐を宝物みたいに扱う人なのは、ずっと変わらないよね。
そして、恐らくここからは"二宮和也"の言葉。
充分幸せだし、本当に感謝しているけれど、まあ欲を言わせてもらうと、わがままを言っていいならば……まだまだツッコミたかったし、もっともっといじりたかったです。それが本音かな。
やっぱり僕の言葉というのは、21年間で僕が発してきた言葉は、すべて4人に向けた言葉だったし、4人が生んできてくれた言葉だと思っているので、なんかそれを取り上げられちゃうような気がして……昨日の夜、妙に浸ったりして、なんか不思議な時間でした。欲深い人間ですみません。
ただ今日もみんなと会って、リハーサルだろうと本番だろうと変わらず楽しめるのは、やっぱり嵐はすごいなと痛感しました。事務所の関係各所、スタッフの皆さんも本当にありがとうございます。
二宮くんは、おたくであるわたしから見ても、甘やかされているなと思うことが多い人だったし、自担に甘いとはよく言われたものだけど、二宮担は中でもモンペを名乗るおたくが多い印象があるくらい。
いつまで経ってもウルトラキュートなお顔と、何故か憎めない口ぶりで、体を張る仕事は「嫌だ」と言ってきたし、嫌いな食べ物は「嫌い」だと言ってきたし、苦手な人に対しては「苦手だ」と言っているシーンをよく見かけた気がします。
これをわがままというならそうなのかもしれない。
他担から見たら甘やかしすぎだと怒られるかもしれない。
だけど、今までの二宮くんのわがままは、簡単に叶えてしまえるわがままだったんです。
仕事にしろ、食べ物にしろ、人にしろ。やらなければ、食べなければ、会わなければよかったんだから。
なのに、最後の最後にそんなわがままを言われたら。
もう誰にもどうしようもないわがままを言われたら。
そんなの、もうおたくもお手上げだよ。
ネットフリックスのNino's Diaryを見てから、二宮くんが如何に言葉を、特に"誰かに向けられた言葉"を大切にしているのかを知りました。
二宮くんの言う"言葉"はきっと、会話の言葉だけじゃなくて彼の作った音楽も含まれていると思うんだけど、そのすべてが"4人に向けた言葉"だと、"4人が生んできてくれた言葉"だと言う二宮くんを見て、だから二宮くんの言葉には温もりがあるんだと思いました。その温度は、二宮くんが4人に向けた愛情の温度だったんだね。
おたくにも何かしてあげられることがあるとか、そんな大それたことは思ってないけれど、それでも、幸せでいてほしいと願う人が切なそうに笑うのを見るのはもどかしかったです。
わたしが見てきた10年強の中で、一番下手くそな笑顔だったけど、一番綺麗な笑顔だったと思ってしまうのは贔屓目だからなのかな。
Twitterにも書いたけれど、二宮くんはきっと泣かないだろうなと、涙を零すことはないだろうなと思っていました。
思い返せば、10周年の国立も、15周年のハワイで大野が泣いちゃったSPも、第39回アカデミー賞受賞のときも、20周年のコンサートのときも、涙ぐむことはあっても決して泣かない人だったから。
いつも泣くのはわたしのほうで、嘘でも虚飾でもなく、二宮くんの瞳から涙が零れるところを見たことがなかったんです。
以前、二宮くんは、RADWIMPSが好きだと言っていたことがありました。
"君があまりにも綺麗に泣くから 僕は思わず横で笑ったよ"
そんな『有心論』の歌詞を地で行くような人。
メンバーの誰かが泣いているとき、二宮くんは必ず微笑んでいて、しんみりした空気になると笑いを生むようなトークをして。
子供の頃はよく泣く子だったといつかの一途で言っていたけど、周りをよく見ている人だから、自分が泣くことで大切な人たちを困らせることや、心配をかけてしまうことに気付いたんだろうなあ。
Nino's Diaryで二宮くんは、エナジーソングの元になった曲を「安っぽくて馬鹿っぽい、この感じが好きだ」と「元々は"僕の見ている風景"ってタイトルだった」と語ってくれました。
二宮くんの見ている安っぽくて馬鹿っぽくて、何よりも素敵な嵐っていう風景には、涙は似合わないもんね。
4人にはずっと笑っていてほしいし、5人でずっと笑っていたかったんだろうなあと思います。
だけど、それと同時に嵐は二宮くんが泣ける場所でもあって。
デビューコンで振付師さんに怒られてトイレに閉じこもってひとりで泣いていたあの日から21年、やっと人前で泣けるようになった唯一の場所が4人の前だということ。
泣くだけじゃない、本音を吐露できる場所がそこで、嵐は二宮くんのすべてだったんだと思うんです。
だから、このどうしようもないわがままを言ってくれて、どうしようもない感情を教えてくれて、もどかしくもあったけど本当に嬉しかった。
わたしにとってこのわがままは、
本音を見せてくれない二宮くんが、
頑なに休止についての言及を避けてきた二宮くんが、
天の邪鬼で捻くれ者の二宮くんが、
21年かかってやっと言ってくれた素直なわがままだったんです。
そしてこの挨拶の最後はこう締めくくられます。
そして先輩の皆さん、見てるかどうかわからないけど……先輩の皆さんにも、本当に色々教えて頂きました。
追いつけ追い越せの気持ちで頑張りましたが、追い越せなんていうのはとんでもなく、追いつくことすらできなかった。ただ近くには行けたのかなと、そう思ってます。そして、今日もね、後輩の子たちが付いてくれたけど、後輩のみんなも"嵐みたいに頑張りたい"とか"嵐みたいになりたい"とか、そういうことはもう言えなくなります。
これからはあなた達の色で、あなた達の輝きを、あなた達のファンに、届けてください。そして、江田・松本・稲葉・福士・冨岡、この5人。
僕らが忙しくてステージのリハーサルに立てないときに、彼らは全部やってくれました。あとで褒めてあげようと思います。とにかくそういう縦の繋がりと、横にはこんなに頼もしい4人がいて、本当に大変嬉しい幸せな21年でした。その目の前に応援してくれてるファンの皆さんがいて、本当に幸せ者です。本当に、本当に、ありがとうございました。また。
諸先輩方に、"追いつけはしなかったけれど、近くには行けた"と言う二宮くんの顔は、横にいる4人と過ごした21年が本当に誇らしい、そんな表情に見えました。
そして、嵐を目標にしている後輩たちに向けて、"もう言えなくなる"と前置きした上で、愛と期待に満ちた温かい言葉をかける二宮くんを見て、二宮和也という人の愛情の深さをまた知ることができました。
以前、二宮くんの言葉にフォーカスしたこんな記事を書きました。
一途連載第一回目のタイトルは、"はじまり"。
そこで二宮くんは"はじまり"ではなく"おわり"について、「何かが始まるってことは同時に、いつかは終わりを迎えなきゃいけない。」と語っています。
記事にも書きましたが、二宮くんは「おわり」を意識して生きている人なんじゃないかとずっと思っていたけど、そんな二宮くんがこの2年、休止のことを頑なに語ろうとしなかったのは、嵐に限っては、一旦であろうと「おわり」を認めたくなかったから、向き合いたくなかったからなのかなと思います。
二宮くんがあの日言ってくれた初めてのわがままを、わたしはずっと忘れることができないだろうな。
飄々としているのは心の内を見透かされたくないからで。
器用な癖に自分の気持ちにだけは不器用で。
超現実主義者なのに「永遠」を信じていたくて。
美しく笑えるのに、いざというときの笑顔が下手くそで。
好きなものには溢れんばかりの愛情を注いで。
大切なものに対する嘘は一切なくて。
先輩には敬意を、後輩には温かい厳しさを持って。
21年かけて、やっとわがままを言ってくれた。
そんなあの日の二宮くんは、最後まで偶像(アイドル)でした。
「終わりたくないけど終わるとしたらこの曲だよね」と言っていた曲を残して、進む先の光に負けないくらい眩しいアイドルだったよ。見届けさせてくれて、一旦の幕引きの最後の瞬間までアイドルでいてくれてありがとう。
いつか、二宮くんの精一杯のわがままが叶う日が来ますように。