愛は百薬の長

わんわんにのちゃんを愛でる @619O319

35歳のあなたに贈る35文字のラブレター

にのみやくん、まず35歳のお誕生日おめでとう。去年の今日からまたあっという間に1年が巡ってきたね。


みたことない二宮くんを今年も沢山見つけて、その度にやっぱり敵わないなあって思ったり、大好きだなあってくやしくなっちゃうくらい感じました。人生のなかでこんなに想えるのはもう二宮くんだけなんじゃないかな。


ノリが良いところ、顔が可愛いところ、優しいところ、みんなの頭脳なところ、ダンスがしなやかなところ、あらしが誰よりも大好きなところ。


いっぱいありすぎて、もう数えきれなくなってしまったにのみやくんの好きなところのひとつひとつが、今のわたしの誇りです。こんなに素敵な人を好きになれて、たくさんの幸せを貰えて、明日もまた頑張ろうって思う。

さり気ない瞬間にふと思い出す、キラキラなにのみやくんの笑顔はいつでもわたしの心の支えです。


のりこんだ船の行く先を、その未来を、愛して止まないあいばさんと、潤くんと、おおのさんと、しょうさんといつまでもどこまでも前進するその姿を、この先もずっと見せてください。

えがいた夢がどんなに果てしなくても、二宮くんのことが大好きなファンやメンバーがいます。長い旅の途中、おち込むこともあるかもしれないし笑顔でいられないこともあるかもしれない。そんなとき、二宮くんが思い出してくれる存在になれてたらうれしいな。


ありふれた言葉だけれど、ほんとうに大切で、大好きなわたしの自慢の自担二宮和也くん。平凡だったわたしのセカイをきらきら輝くものに変えてくれたあなたの人生がどうかこの先も明るいものでありますように。そしてあなたのその笑顔がいつまでも枯れませんように。

ファンになれてほんとうによかった。アイドルでいてくれて、この道を選んでくれて、ありがとう。


まだまだ続く二宮くんと嵐の航海を、この先も一緒にすすんでいけたら幸せです。


よろしくね、35歳の二宮くん。35文字のラブレター、うまくあなたに伝わりますように。*1

*1:この記事はスマホ表示で35行になっています。各行の頭文字を縦読みしてみてね。

ラブソングと夜の親和性

以前Twitterにてアンケートを取らせて頂いたんですけど、


そのときの記事がやっとできました(大遅刻)


そもそもこの記事は「そういえば嵐の楽曲って星座みたいな夜空を連想させる曲が多いよな〜〜〜ロマンチックでちょう好きなんですけど!!」と思ったことと、そういうワードが出てくるラブソングが単純にめちゃくちゃ好きなのでちょっと調べてみるか〜〜!くらいの勢いで書いていますので悪しからず。

そういうわけで今回は、嵐のラブソングにおける星や月といった夜空の位置付けについて、嵐の活動期間約20年をデビュー期(デビュー~2004)、花男全盛期(2005~2009)、国民的アイドル期(2010~現在)の3つに分けて、圧倒的主観でお送りします!!!!!それでは早速いってみよう!!



デビュー期
デビュー期に当たる1999~2004までの嵐は、トンチキソングの宝庫なのでまずマトモなラブソングを見つけるのが難しかった(失礼)

そんな中から見つけたまさに希望の星的ラブソング、それがあの伝説の第69回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した二宮くん主演作、「南くんの恋人」主題歌である「瞳の中のGalaxy」です。

作詞作曲が藤井フミヤさんなので、それはもうロマンチックな世界観が展開されているわけですがそれなりにトンチキ感満載の曲です。Galaxyな瞳って何やねん。

それはさておき、この曲には以下のフレーズで星が登場します。

1番
どうして流れ星に 願い事するんだろう
宇宙の彼方に消えてゆくのに

そして僕は星座になって 君の傍にいるよ

2番
そうさ君とこの銀河の中で出会ったよ
信じよう 信じよう いつか聞いた星の神話

Cメロ
数えきれない 悲しみも
数えきれない 喜びも Shining stars

この曲における星は、友達以上恋人未満なふたりの関係性を隠喩しているのかなあと思いました。

"流れ星に願い事をする→叶う"という希望的な因果関係が表れた歌詞ではなく、"願い事をしても宇宙の彼方に消えてゆくのに"と、ちょっとマイナスの観測がされていることや、1サビの終わりが「〜見つめたい」と願望の形で語られていることから、主人公である"僕"と"君"との関係は曖昧な感じなんだろうなあ、と推察しました。

そんな感じで1番ではちょっとしたマイナス要素を孕んでいるこの星ですが、2番以降では希望的観測で語られるようになっています。ちなみにここで出てくる星の神話、発売時期的にもベガとアルタイル(織姫と彦星)かなあと思いましたが結局悲恋チックなのでたぶん違うんですよね……気になる。
あと最後の"Shining stars"も複数形になっているのでふたりの隠喩なんじゃないかなあと思ったり。

あと少し話は戻りますが1番サビに「Galaxyなその瞳を見つめたい」とあるので、その瞳の持ち主は"君"だということがわかります。ちなみに「"僕"は星座になって 君の傍にいるよ」なので、これたぶん"僕"は星座になっることによって"君"のGalaxy、つまり瞳に映り続けたい的な物理と心理のダブルミーニングなのでは?とも思いました。

どちらにしろこの曲での星の役割はざっくり僕と君の隠喩であると言っていいかなあと。

また、この時期の楽曲でほかに星が出てくるものは、君だけを想ってる星のFreeWayなどがありましたが、君だけを想ってるに関しては「星と星をつなぎ」と「君と僕を結ぶ」が対句になっているんじゃないかと感じたのでここでの星も遠距離恋愛をしているふたりの隠喩で考えました。実際星と星の距離もめちゃくちゃ離れているので、それも遠距離恋愛にぴったりな感じだったし。
そして星のFreeWayは歌詞がドライブ中っぽいので、そのままの意味で夜景の光を星に例えて高速道路を走っているようなイメージなので、何かの比喩ではないパターンです。


花男全盛期
我ながらこのネーミングセンスは如何なものかとは思いましたが、気にせずガンガン進みます。この時期の嵐の楽曲にはラブソングがめちゃくちゃ多くてさすが20代真っ只中のキラキラアイドルだ〜〜と思っていました。


で・す・が!


ノブ「ないんじゃ〜〜!!夜空の出てくるラブソングがほとんどないんじゃ〜〜!!!!」


びっっっくりするほどなかった………ラブソング自体はもちろん沢山あったのですが、星が2回以上歌詞に出てくる楽曲がイチオクノホシシリウスしかなくて詰みました。

しかもイチオクノホシはほら、歌詞も「イチオクノホシの中の二人」だし……もう日本の人口の比喩じゃん……逃れようがねぇ………

シリウスシリウスで失恋ソングな上に「遠ざかる星に 愛を誓う」だし、その前にも「ひとつだけ空に高く光る 僕の名前 呼ぶ声」があるので推察するまでもなく別れた彼女のことです………


……花男全盛期編……これで終わりです……ヒロシです………



国民的アイドル期
そう!ここ!ここですわたしが一番語りたいのは!!!みんなが30代に突入してからの嵐はなんていうかこう、大人の余裕を醸し出し始めたしそれに伴って(?)余裕な顔で甘い台詞を囁くようになったの!!!!(大歓喜)20代前半に歌っていた「連絡ひとつロクに出来なかった自分が今では全然信じられない」みたいな若気の至り系ラブソングは歌わなくなってしまったけれど!!それと引き換えに▼ アラシ ハ イロケ ヲ テニイレタ!状態なわけです。特に近年の嵐、やばいよ、色気が。

20代の嵐が夜空って言っても21時頃だったのに対して30代の嵐はもう23時以降だからね……※あくまで主観

そんな23時以降系の大人なラブソングの中からいくつか選抜していきます。


エントリーNo.1 Sugar
2017年ジャニーズ楽曲総選挙にてアルバム曲ながら全体上位に名を連ねた言わずと知れた名曲。何万人もの腰を砕いてきた名実ともに生で見たらやばい曲

この曲には太陽というワードも出てくるのですが、それ以上に星と月が多用されていることと、全体的な雰囲気が夜なので選出しました。

月明かり 君は素敵に纏って 悔しいくらい上手に笑う
何もかも幻だよ、みたいに 嘯いたその瞳が愛おしいんだ

「いつかは2人も 星屑になるの」
そんな駆け引きは 月と太陽に預けて ただ僕を見つめて

大前提として"僕"は"君"に恋愛感情を抱いているわけですが、月明かりを素敵に纏った"君"が悔しいくらい上手に笑う、また、何もかも幻だよと嘯く=知らないフリをする、とあるので素直に「綺麗だ」などと言えない関係性である可能性が高いです。
そしてここでの素敵は辞典で調べると最初に示されている「心を惹かれるさま/非常にすぐれているさま」だけではなく、二番目の「程度がはなはだしいさま」という意味のダブルミーニングで取るのが自然かなあと思いました。つまり、砕けた言い方をすると月明かりを纏った君はめっちゃ綺麗!的な。夜に月明かりを纏う、ということはスポットライトが当たっているようなイメージなのでここでの月明かりは"君"に対して+αな存在で"君"本人を指しているわけでありません。

そんな"君"が「いつかは2人も 星屑になるの」なんて意味深なことを言い出します。
この歌詞の前に「そう 分かってるのは もうすぐ今日が 終わるってことだけさ」というフレーズがあるので、"僕"にはこの夜が終わって朝が来る自覚があるわけですが、彼女の台詞にある「星屑」は夜が終われば見えなくなってしまうもので、言い換えれば夜が終わればふたりの関係も終わるということ。そこでこの台詞の行間やこれまでの歌詞の流れから推察できるのは、"君"はこの夜のこの関係を終わらせたくないということです。
それに対して「そんな駆け引きは月と太陽に預けて ただ僕を見つめて」で夜にしか見えない月だけでなく、朝の象徴である太陽まで引き合いに出しているので"僕"は出来ることなら朝が来てもこの関係を終わらせたくない、いつまでも僕を見つめてっていう……まあ"君"を"Sugar"とか呼んでベタ惚れですもんね、そりゃ強欲になるわ。

つまり、星屑は言わずもがな夜が終わると終わってしまうふたりの関係の隠喩ですが、月と太陽はどちらかが常に見えている状態にあるので終わらないことの隠喩かなあと解釈しました。


そしてエントリーNo.2 お気に召すまま
好きすぎてCDが焼き切れるんじゃないか、くらい聴きました(怖い)まずイントロからしてキラキラ!星空!ロマンチック!みたいな始まりで、出てくるワードがときめきの宝庫。

「夜が明けても星空の滑走路(みち)をずっと旅しよう」はつまりプロポーズみたいなもんだし、彼女と過ごす時間を星空の滑走路に例えるってどんな感性してんの……ちょうすき……だし、「理屈よりリキュールを注いだグラスをふたりで高らかに鳴らしたら夜空がまた光り出す」って30超えたおじさんの感性マジでどうなってんの……30超えて理屈抜きで楽しいキラキラな恋できるってまさに理想じゃんすき……ってなる。君といれば夜空の星が輝くってか。イケオジすぎて困る(ここで白旗を上げる)

挙句、「その声で星が揺れる」し「愛しさで星は廻る」んですよ!!!君の声を聞くと星が瞬いて、そんな君への愛しさで地球は廻ってるんだよって……こんな女の子が喜びそうなロマンチックファンタジーワードの宝庫みたいなイケオジ、いくらで買えるの、、、億ですか?兆ですか??

とにかくここでの星は星そのもの、というより恋愛のキラキラ感を表した心情の現れなのかなあと思いました。それにしてもやはりめっちゃ好きですこの曲。



さて、ここまで長々と4500文字弱書いてきましたがまとめると、
・デビュー~20代の楽曲ではその恋愛の当事者であるふたりの距離感など物理的な事象を比喩していることが多い
・30代になってからの楽曲では物理的な事象ではなくふたりを取り巻く事象や感情など心理的な部分を表現する手段として用いられることが多い
という感じですかね。

わたし自身、こういうロマンチックワード満載のラブソングが大好きなのでやっていてほんとうに楽しかったです。今回はラブソングを取り上げましたが、嵐の楽曲には星が出でくる曲がほかにも沢山あるのでそれらの星についてもまたいつか記事にできたらなあと思います。


今週末からワクワク学校も始まりますし、来週は待ちに待った円盤が発売されますし、ブログの更新頻度も上がりそうですので何卒よろしくお願いします……!

【検証】渡海先生、実はオペ室の悪魔じゃない説

お久しぶりですこんにちはこんばんは、みづきです。
全国617万人の二宮担のみなさん、遂に始まりましたね!
日曜劇場「ブラックペアン」!!!

白衣の自担が見たい、自担に罵られたい、自担が煙草を嗜む姿が性癖なので見たい等々、これほどまでに二宮担の夢と希望と血と汗と涙を詰め込んだ医療エンターテインメント、他にないでしょ……という感じ。もちろん作品自体も面白かったし大満足なのですが、なにより大好きな二宮くん演じる渡海先生がまあわたしに似ていて驚きました。(そこ)

いや、正確には、わたしは医者ではないし渡海先生みたく何でも器用にこなせるわけでもないしそれなりに名誉や昇進にだって興味がある、所謂"普通"に近い人間なのだとは思うのだけど、それでも今までの人生を振り返ると「変わってるよね」と言われることが多かった気がするし、なんなら先週振られてしまった2つ上の元彼にだって「今まで出会った人の中で一番クセがある人だなって思った」などと言われたのでたぶんこの自己分析はあながち間違ってないんじゃないかと思っています。なので今回はそんな渡海先生に似ている(?)わたしが行う、渡海先生プレゼンみたいな記事です!!

では早速。


ブラックペアン初回放送を見た直後にこう呟いたのだけど、この渡海先生のモンペみたいな発言は自分の性格に対する言い訳みたいなものでした。

わたしは生まれてこの方一応女の子として生きてきたので、一般的に女の子特有だと言われている、結論のない話で盛り上がるのも、そういう話を何時間も続けるのも、好きだし実際よくやっています。ただそれは、相手に特に伝えたいことがない場合であって、
・伝えたいことが明確にある状態
・時間があまりない状態
このふたつの条件が揃ってしまったら、よく言えば合理的な、悪く言えば直接的な言葉を選んでしまう。それはもうオブラートのオの字もないくらい。


それが重なった結果、わたしは元彼のプライドを傷つけ、挙句振られてしまったというわけです。言うまでもなく、彼を貶したかったわけでも、彼のプライドを傷つけたかったわけでも、彼を落ち込ませたかったわけでもなくて、わたしの認識としては事実をお伝えしただけ。しかも、あのときもっと時間があればオブラートに包んだ柔らかい言葉を選んでいたとも思います。

そうしたいわけではないのにそうさせてしまう原因は、たぶん心理的な焦りもあるけれど熱量の問題なのかなと渡海先生を見ていて感じました。

自分がどこに熱量を注いでいるか。
渡海先生の場合ひとりでも多くの命を救うことで、すなわちそれはひとりでも多くの命を救うための医者を生み出すことに繋がる。
その最短ルートがきっと、万年ヒラの自分より劣っていることを知らしめることによって相手の向上心を刺激することなんだろうと。まあこれを世間一般では煽りと言ったりするんだろうけど。

人間は自分の欠点に自分で気付かなければ本当の意味で変われないとはよく言ったもので、挫折は人間を成長させるとはまさにこのことなのかなあとぼんやり感じました。そうしてプライドを傷つけられたひとは、自分の無力さを感じてそこにいることから逃げる。これまでエリートとして育ってきて、周りの人間より常に優位に立ってきた医者なんてなおさら、自分の抱くプライドと現実の自分の無力さのギャップに耐えられなくなってしまう。

だけど、プライドを保つために医者をしている医者と、ひとりでも多くの患者さんを助けたいと思って医者をしている医者、どちらに命を救われたいかと聞かれたら圧倒的に後者で、そういう志を忘れていない医者のことを「医者の鑑」だと評するんじゃないでしょうか。だから、そんなちっぽけなプライドを捨てて「助けてください」と土下座で頼み込んできた世良先生の熱意を買ったんだと思います。


ひとりでも多くの命を救いたい。

そのためなら土下座することも、必死になって頼み込むことも厭わない。患者の命を救うためにした行動を情けないとは微塵も思わない、そんな世良先生に自分と同じものを感じた。注ぐ熱量が同じだったんですよねきっと。


渡海先生を演じるに当たって、二宮くんがよく言っていた「それぞれの正義」という言葉。渡海先生の正義は純粋に命を救うことで、それは裏も表もない本音。対人関係でもよく言う、大切だから叱る、自分のことを本気で叱ってくれるひとを大切にしなさい、ってこういうことなんですよね。

事実を伝えられて、怒られたと感じるのは自分がそれに気付いているのに、気付かない振りをして逃げてきたことを、改めて直接的に伝えられてしまうとその逃げ道がなくなってしまうから。だから、物理的に逃げた先で怒られたって言うんです。それが、論文も発表していないような万年ヒラの医局員や、学歴も年齢も下の彼女など、一般的に見たときに自分よりも社会的地位の低いひとからならなおさら。


渡海先生にとっては患者、ひいては患者の命を預かる医者が大切で、わたしにとっては彼が大切だったんです。

こういうことを言うと言い訳がましいし未練がましいけれど、決して見下したいわけでもなく、大切だからこそ成長してほしいんです。わたしは渡海先生ではないから本当のところはわからないけど、わたしが誰かを叱るときは自分が嫌われるかもしれない覚悟で、その誰かの成長を願っています。自分に対する評価を犠牲にしてでも、成長して評価されてほしいひとだから。

キツいことを言うのは、嫌われてでも守りたいものが、貫きたい正義があるからです。

自分の評価を犠牲にしてでも目の前の命を救いたいのがきっと渡海征司郎というひとの本質なんです。そういう点で渡海先生は命の重さも大切さも誰よりもわかっていて、命への向き合い方も誰よりも誠意があるひとだなあと思います。

ただ、やり方や言い方が直接的すぎて、合理的すぎて、回りくどいことをしないから傲慢に思えてしまうだけ。渡海先生の呼称であるオペ室の悪魔だって、悪魔と評すことで自分より実力のある渡海先生を認められない周りの医者のちっぽけなプライドがそう呼ばせているだけであって、患者さんにとってはきっと悪魔なんかじゃないのではないでしょうか。

まあ本人は呼称なんてどうでもよくて、ただ「目の前の命を救う」という正義に従っているだけなんでしょうけど。

未来の話なんかしてねぇ
俺は今の話をしてるんだよ!

この台詞に渡海先生が詰め込まれていた気がしています。彼が見ているのは確かに"今目の前にある命"だけです。だけど、だからと言って未来の命を犠牲にするわけではない。未来の命だって、未来の渡海先生の目の前にあるのならそれは彼にとって"今目の前にある命"になるんですから。


ここまで書いたのは、あくまでもわたし個人が抱いた渡海先生への印象です。ただ、この記事を読んで渡海先生ってそんなに悪いひとじゃなのかな?と一瞬でも感じてくれたら、似ているわたしとしては嬉しいです。

あなたにとって渡海先生はどんなひとですか?

私のアイドル・二宮和也くん

今週のお題「私のアイドル」


今週のお題が「私のアイドル」ということだったので、改めて二宮くんのおはなしをします。


このお題で記事を書くにあたって、そもそもわたしにとってアイドルってなんなんだろう?どういう存在なんだろう?と考えたのですが、明確にこれと言った答えは出なくて、まあ、強いて言うなら色々な感情や色々な景色、知らない自分を教えてくれる存在かなあ、と。


さて、わたしがアイドルである二宮くんを語る前に、語らなければならないひとがもうひとりいます。おなじ嵐の櫻井翔くんです。

先日誕生日を迎えた彼は、わたしと嵐を引き合わせてくれた恩人のようなひと。二宮くんを担当する前に担当していたしょうさんもまた、当時小学生だったわたしに色々な感情や色々な景色、知らない自分を教えてくれました。

例えば、誰かを全力で応援することの素晴らしさ。
あらしやしょうさんがいるだけで、毎日がきらきらと輝いて、わたしの気持ちが届くようにとCDやDVDを買ったり番組を見たり。その気持ちに対して、コンサートで「ありがとう」って満面の笑顔で言ってくれるあらしを、しょうさんを見るたびに「全力で応援してきてよかった」って気持ちになった。

例えば、誰かに憧れて何かを頑張る力。
しょうさんに憧れた当時小学生だったわたしは、彼の母校である慶應大学に入るべくそれまで以上に勉強を頑張りました。結局夢半ばに終わってしまったけど、勉強の楽しさを教えてくれたのは間違いなくしょうさんだし、あの日々は決して無駄じゃなかったと思います。

例えば、今まで知らなかった世間の色々。
興味のなかった報道番組も、しょうさんが伝えてくれていたから自分から進んで見るようになったし、そのお陰で時事問題に強くなったし、その習慣は今でも続いています。

例えば、こんなにも誰かを好きになることができる自分。
誰かを好きになるっていうのはこういうことなんだなって心から思わせてくれたのはしょうさんで、ほかの誰よりも世界でいちばんだいすきなひとですって胸を張って言える、初めてのひとでした。


こんなふうに、当時小学6年生だったわたしに沢山の感情を、景色を、自分を教えてくれたのは紛れもなくアイドル・櫻井翔くんでした。今思えば、彼じゃないと知ることができなかったものも沢山あるけれど、それを踏まえて、ここからは今のわたしを支えてくれているアイドル・二宮和也くんについておはなしします。


二宮くんを好きになってまず知ったのは、自分が思っている以上に自分が弱いこと。
少し暗いはなしになるけれど、わたしは中学生の頃、いわゆるいじめを受けていました。その内容は割愛しますが、学校に行きたくなくて、でも行かなくちゃいけなくて、誰にも言えなくて、親にも友達にも先生にも心配かけたくなくて、ずっと強がって黙って、つらくて、でも泣けなくて、自分の存在意義も見失って、何度も何度もいなくなりたいって願ってたんです。

そしたらね、二宮くんが言ってくれたの。

僕らはそんな弱くは無い でも強くもないから
だから泣いていいんだ 恥ずかしい事じゃない
明日がある人しか出来ない事だから 明日への合図だから。

って。弱い自分を認めてしまったら、泣いてしまったら、心配かけてしまうから強くいなくちゃいけないと思っていたわたしに、二宮くんが言ってくれた「泣いていいんだ」。弱くても、泣いてもいいんだよ、って言ってくれてほんとうに救われて。


それと同時に、この二宮くんのソロ曲「どこにでもある唄。」を聴いて、立ち上がれる強さがある自分にも気づくことができた。

ほら息を吸ってはいて。生きている。
一歩一歩 歩いている。ただそれだけでいい…
大丈夫。僕らはずっとここにいるよ。

存在意義を見失ってしまっていたわたしに、生きているだけで、一歩ずつ歩いているだけでいいんだよって、そんな言葉をかけてくれたのは二宮くんで。「ずっとここにいるよ。」と言ってくれる二宮くんに、俯いて止まってないで、立ち上がって歩きだす勇気をもらって、弱いけれど立ち上がることのできるわたしがいることを教えてもらいました。



それから、二宮くんにもわたしと似たような過去があることを知って、そんな二宮くんに、暗い過去があるひとでもそれにとらわれずに輝ける場所がきっとあることを教えてもらいました。
何よりも、画面の向こうで、ステージで誰よりもきらきらと輝いている、誰よりも楽しそうに笑っている二宮くん自身がその証明で、わたしの希望でした。それは今も。

いじめに関して言えば、二宮くんもつらかっただろうな、しんどかっただろうな、悲しくてもう二度とあんな経験したくないだろうなって、勝手に思っていたのだけど、そんなとき彼が「嵐が嫌われるなら、いじめに慣れてる俺が嫌われ役になる」と発言していたのを知って、いじめの被害者は「ひとの痛みをわかってあげられるひと」になれることを知りました。事実としてはとってもつらくて悲しいことでも、その経験からやさしくなる方法を教えてくれたのもまた、二宮くんでした。


あれから7年、わたしの世界で誰よりも輝きを放っているアイドルは変わらず二宮くんです。

二宮くんのことをおもうと、あったかくてやさしくて穏やかなこれまでの思い出たちがあふれてきて、泣けちゃうくらいいとおしくてたまらない。

ずっと変わらない、「自分にできる仕事だからオファーが来ている」っていう二宮くんのお仕事に対するスタンスは、自分に置き換えて新しいことに挑戦するときに何度も思い出すし。

「僕のビューティフルワールドは、この4人と見る、この景色です」と国立競技場の真ん中で語った二宮くんを思い出しては、そんな仲間を持てるように頑張ろうと思えるし。

アカデミー賞を獲ったときのスピーチで、物欲のあんまりない二宮くんが「(最優秀賞が)欲しかった」と言っていたのを珍しいなって思っていたら、後日「賞はファンのみんなや、支えてくれている方のために欲しかった」と一途で語る二宮くんが、あまりにもやさしくてその回を読んではうれしくて何度も泣いたし。

普段は全然素直じゃなくて、本心なんて見せてくれないくせに'08年の24時間テレビでメンバーだけじゃなく、わたしたちに向けても「6人目の嵐のみなさん。大好きです。感謝しています。ありがとう。」って、大切なときはびっくりするくらい素直に気持ちを伝えてくれる二宮くんの姿は、いつも誰よりも、あらしやスタッフさんやファンを想ってくれていて、わたしの誇りです。

何よりも、嵐としてステージに立っている二宮くんが、4人と楽しそうに話している二宮くんが、嵐のはなしをしている二宮くんが、どんなお仕事をしているときより、どんな現場にいるときより、わたしのだいすきな笑顔を浮かべるから、そのたびにまた、泣きたくなるくらいのいとおしさが胸にこみ上げてきます。


これから先、降りかかるかもしれない色々な困難を一緒に越えていきたいとおもえるひと。

そんな困難を越えた先の未来を、一緒に見たいと、一緒に笑い合いたいと、つい願ってしまうひと。

なんなら彼のこの先の未来が、幸せなできごとだけでできていたらいいのにとおもうし、

できることなら、来世も再来世も、あいばさんとじゅんくんと、しょうさんとおおのさんに出会って、あらしになってほしいし、

「これ以上はないから(有機物には生まれかわりたくない)」なんて言う二宮くんに、おこがましいかもしれないけど、これ以上を見せてあげたい、なんて思ってる。


過ごしてきた日々に比例するように増えていく好きの気持ちと、日に日に素敵になっていく、明日にはまた違う顔を見せてくれる二宮くんに、振り回されながらこれからも着いていかせてください。

昨日よりも今日の二宮くんがすきです。
今日よりも明日の二宮くんのほうがもっとすきです。
明日よりも一週間後の二宮くんが、
一週間後よりも一ヶ月後の、一年後の二宮くんが、
今よりずっとだいすきになるんだろうなあ。


小学生の頃、しょうさんに教えてもらったより、もっともっと沢山のだいすきを伝えたくなって、伝えても伝えてもいつまでも追いつかないくらいだいすきな、わたしのアイドル・二宮和也くん。

この先も、色々な感情を知るとき、新しい景色を見るとき、新しい自分を見つけるとき、心の中にいるのが二宮くんでありますように。

全シンメ担にダイマするUB

嵐ライブツアー2017-2018「untitled」大阪公演最終日に参加した、二宮担(にのあい強火担)のわたしがにのあいのユニット曲であるUBについて全シンメ担にダイマします!!!ちなまなくても長い。

コンサート行ったひとみんな言ってるけど、シンメ担でUB見てないひとはマジでシンメ担人生8割損してる。これ割と本気で。そのくらいやばいぞ、UBは。

入所時期がほぼ一緒で同級生、帰り道は同じ総武線に揺られ、Jr.時代はシンメとして一世を風靡していたとかいないとか……な二人。一方は「俺は歌も踊りもできないからデビューできない」と感じ、それに対しもう一方は「デビューできるから」と信じ励まし、結果お互いが助け合うようにして同じグループでデビューするという神様仏様も驚く運命力。

そんな20年以上の付き合いの二人がグループ結成18年目にして作り上げた、友情愛情を超えた超大作、それがこのUBです。

ユニットの組み合わせが発表された時点で二宮くん強火モンペであるわたしが泣いた。あれだけあいばさんにラブコールし続け、地上波(ただのババ抜き)で「俺はお前を信じて、お前と一緒に歩いていきたい!」と発言し、

某動物園番組で犬猫どっちが好き?企画初回ゲストにお呼ばれしたときは「やっぱ相葉くん」と犬派に名を連ね、

自身のラジオでは「あいばくんご飯行ってくれないから俺は湾岸の地縛霊になる」とごねていた二宮坊ちゃんがやっとあいばさんとユニット曲を公式音源で歌えることの重大さたるや……(怖い)



そんな、二人の関係性をユニットバスに例えたUBは、二人を18年見守り続けたメンバーのやさしい語りから始まります。

これは、ある一人の旅人の言葉。
人と人はどうやって出会うのだろう。
街を歩けば人とすれ違うけれど、
それは出会いではない。
必然か?それとも偶然か?

穏やかなしょうさんのやさしい声が響くドーム。
古き良き下町葛飾で生まれ育った二宮くんと千葉の中華屋のせがれである相葉くん、経緯こそ違うけれど、もしジャニーズに入っていなければ。この二人はもしかしたらすれ違うことすらなかったのかもしれません。


そして必然か?偶然か?という問に、潤くんが丁寧にその答えを読み上げます。

出会いにはきっとタイミングがあるんだ。
歯車が噛み合うように。
点と点が線になって交わるように。
それは、とても自然なこととして。
そしてもっと知りたくなるんだ。互いのことを。

しっかりと、噛み締めるように、出会いはタイミングだ、と。歯車や点という表現を用いて語られる出会い。歯車は噛み合わないと作用しないものですし、点は線になって初めて何かを描くことができるもので。この二人の出会いの奇蹟をここで思い知らされます。

共に過ごす時間の中、楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと、悲しいこと。その中に愛は詰まっている。

二宮くんのやさしい声で語られる、大切なひとと出会った旅人がその時間で学んだ、たくさんの感情。20年も一緒にいれば、色んな場面が過ぎるはずです。だって20年です、赤ちゃんが成人を迎えるまでと同じ年月を過ごして来ているのです。この台本を与えられたとき、二宮くんはきっと相葉くんのことを思っていただろうなあ……(ここで号泣)


二宮くんに続いて相葉くんが愛おしむように語ります。

日常の小さな一つ一つが人をつくっていく。
誰かに影響を受けて知らず知らずに変化していく。
その隣には、あなたがいた。

相葉くんにとって日常の小さな一つ一つを共に過ごし、知らず知らずに影響を受けた、そのひとこそ、きっと二宮くんで。ささいな日常も、変化も二人で受け入れてきたはずです。"その隣には、あなたがいた。"相葉くんの「あなた」は二宮くんなんです。

ありがとう。君といた、全ての奇蹟に。
さあ、次はどんな景色を見ようか。

大野さんのすべてを包み込むような響きが会場を包み込んで始まる、静かで、穏やかで、繊細で、優しい、UBのイントロ。



メインステージをはさんだ対極の花道に、同じ青のタートルネックのニットとジーパンというこれでもかというほどシンプルな衣装に身を包んだ二人が現れます。いわゆるコンサート衣装のような、ギラギラとした装飾なんてこの二人には必要なく、20年を共に過ごした彼らの関係性は、至ってシンプルな衣装や言葉に集約されるんです。

Litsen...

ドームに集まった4万5千人と自分たちに語りかけるように紡がれる、この曲が始まる合図とも取れる二宮くんのこのフレーズ。カメラに抜かれた二宮くんの表情が、穏やかでやさしくてあったかくて、あの一瞬でドームがにのあいだけの世界になりました。二人が20年綴り続けてきた日記帳の表紙を、笑い合いながらそっと開いた瞬間でした。

簡単なことが 見えなくなっていた
カーテンの向こうが遠く感じてる
何考えてんだ いつも無口で
ずっと首伸ばして見てる

巨大なスクリーンに映し出される二人の表情が、どこか懐かしむようで、優しくて柔らかくて、日記帳に綴られた一言一言を丁寧になぞるような歌い方も相まって、それはもう泣けた。あとお互いが見えない位置でお互いのパートを口ずさむにのあいに友情や愛情を超えた信頼関係が伺えて、歌詞に出てくる"We are one"なんだなあ、二人で一つなんだなあって。

本当は知ってんだ 最近の二人は
近くにいることにも 何も感じない
どこに行こうたって 離れられないけど
でも僕らにだって一人になりたいこともある

この曲のやばいところは、終始主観で語られているところなんですよ。登場人物はお風呂とトイレ、ないし二人なのに。人間複数いれば、同じ光景、同じ経験をしても思うこと、感じることは違うはずなのに、「最近の二人は」「何も感じない」し、だけど「僕らにだって」「一人になりたいこともある」と二人分の感情が、ほぼ断定の形で語られる。

しかも、普通に歌うと不仲とも取られるかもしれないこんな歌詞を、堂々と歌うわけです。行間を読めば、つまりにのあいは、この歌詞を歌っても不仲と取られないような関係性なんです。

きっと Need to leave
同じものを見た 時間が長すぎた
We just need to leave
お互いの感情さえ 手に取るようで
付かず離れず今日もまた この部屋の中で

先ほど二人分の感情が断定の形で語られる、と記しましたが、ここでその理由が語られます。「同じものを見た 時間が長すぎた」「お互いの感情さえ 手に取るようで」と。20年は彼らの心をひとつにするには長すぎる年月で、その年月がお互いの感情も手に取るようにさせた、と、"二人"ではなく"一人"として二人が歌う。

いや、どれだけ長く一緒にいるんだって、どれだけ同じ光景を、同じシーンを経験してきたんだって。彼らが付かず離れずで積み重ねてきた経験値が、想像できないほど多くてくらくらする。しかも「一人になりたいこともある」なんて言いながら「今日もまた この部屋の中で」と受け入れているあたり、もうどうしようもないって、二人が二人の運命力に白旗上げてるんですよね。本人たちもびっくりの運命力ですよ。

もう Never leave
当たり前じゃない 今までの日々も
We could never leave
違う二人だって 助け合って行けるよ
付かず離れず今日もまた 隣同士なんだ

これは2サビなのですが、このサビに入る前、対になった花道から引き寄せられるようにセンステに歩いてきた二人の目が初めて合う。そのときの二宮くんの、ちょっと恥ずかしそうな、だけど嬉しそうな表情が忘れられなくて、思い出すだけで泣ける。

二人の運命力で引き寄せたこれまでの毎日が「当たり前じゃない」ことをいちばんわかっているのは、紛れもない本人たち。今まで散々、あるときは親友として、またあるときはメンバーとしていちばん近くで助け合ってきた彼らだからこそ「違う二人だって 助け合って行けるよ」と言えるんです。お互いの優しさも、気配りも、鋭さも、全部いちばんわかっているから、自分じゃない誰かとでも助け合って行けるよって。

だけど結局、今しかないから。今を生きている自分の隣にいるのは、紛れもなく"あなた"だから。「付かず離れず今日もまた 隣同士」なんです。


そうやって綴ってきた日記帳を読み進めた二人に、離れて暮らす計画が舞い込みます。

Oh 僕らが別れて 暮らす計画があるなんて
Oh 戸惑ってるけど 僕らは一つさ

さっきまでサビで、二人で一人の感情を歌っていた、つまり"二人で一つ"だった彼らが、"一つと一つ"という個に、二つになるかもしれない。

だけど「戸惑ってるけど 僕らは一つさ」と二宮くんが歌う。ここ、二宮くんが歌うことに意味があるなあって思います。「歌も踊りもできないから、デビューできない」と嘆いていた二宮くんが、20年の時を経て力強く歌う「僕らは一つさ」。戸惑っていた親友の背中を押す優しくて、頼もしい一言。もう涙が止まりません。


このへんから泣きすぎて記憶あやふやなんですけど、たぶんこのCメロ後の間奏であの話題騒然の常に体の一部をくっつけて踊るなんちゃらダンスってやつが始まるわけです。

が、正直にのあいが絡み合ってる記憶しかない。けど、人間ってあんなに複雑に絡み合えるんだなって思ってしまうくらい、ほんっっっっとうに息がぴったりで、まるでお互いの居る思い出を二人で丁寧に照らし合わせていくみたいでまた泣いた。

「UBやばいと思うから隣で死んでたら屍は京セラに埋めてな!」と母に言っていたのですが、たぶんこのへんで1回埋められた。


そして今までの思い出を散々語り合った二人は、4万5千人のド真ん中で大の字になってそれはもう一点の曇りもない清々しい表情で、高らかに

ほら We are one
離れたとしても 僕らはひとつさ

と歌い上げる。「We are one」「僕らはひとつさ」と、大事なことは2回言うスタイルは全国共通なんですかね。泣かないわけないじゃないですか……もうぐっちゃぐちゃですよ……


そのあと起き上がった二人が固く繋いだ手を掲げながら歌う

そう We are one
肝心なとこで 一緒だって分かる

が更に追い討ちをかけてきます。身長差のせいでちょっと持ち上げられてる二宮くんがなんとも言えないエモさ。こうやって歩いてきたんだなあって。もはやトラウマですよ。泣きすぎて。UBはトラウマ曲ですよ……(めちゃくちゃ褒めてる)


だけどこのあと、あんなに固く繋いだ手を離して別々の方向に歩き出す二人。「離れたとしても 僕らはひとつ」だと知った二人は、"一人と一人"、つまり個として歩みを進めます。

付かず離れず今日もまた 君と並んでいる
Yeah 君のとなり… Uh Yeah Yeah
君と並んでいる

別々の道を歩み始めた二人が、「君と並んでいる」で見つめる先にはもちろんお互いの姿があって。最後、約束のスタンド・バイ・ミーポーズを決めてにこにこと笑い合う二人にまた泣かされて。にのあいにとって「隣同士の君」はずっと二宮くんであり相葉くんなんだろうなって。去り際が潔すぎて、それにも泣きました。


UB、今考えてもやっぱりユニットバスの曲なんです。だけど、そんなこぢんまりした一室に広がっていたのはにのあいという壮大な終わりの見えない宇宙で。

二人の物語はまだまだ続きます。今までそうだったように、これからも、ずっと。付かず離れず、隣同士で。


そんなUBが含まれる「untitled」ぜひ、シンメ担は円盤になったら買ってください……もしくは借りて……嵐ファンに……それで後世に語り継いでください……

あとCD買ってくれ……

「untitled」(通常盤)

「untitled」(通常盤)

「untitled」最終章 大阪公演オーラスレポ

さて、ということで、お友達のお友達からのご縁がありまして
「untitled」ツアーファイナル参加してきました!!!!

今回のツアーはわたしの名義、母の名義、お友達の名義共々全滅で潔く諦めようと思っていたので、お譲りのお話を頂いたときはまさに神の手が差し伸べられたような感覚でした。連れていってくださったお友達とそのお友達には本当に感謝してもしきれません。この場を借りて深謝致します。



とまあ前置きはこのへんにして、早速レポという名の感想を述べていこうかと思います。

まず開演前はモニターに映し出されていた様々な大きさ、デザインの額縁のようなもの。開演時間が近づくにつれ、その額縁に写真が入っていくんですね。メンバーの顔だったり、東京タワーの写る夜景だったり……この額縁がすべて埋まると開演なんだろうなとソワソワしながら開演を待ちました。

照明が落ち、嵐コールの響くドーム。ドーム全体のソワソワした雰囲気がもう一段階照明が落ちて一気に歓声に変わって、モニターに浮かぶ"「untitled」 FINAL"の文字。歓声が一際強くなった、瞬間。

Can"t stop this feeling

の歌詞とメインステージに5人の姿。モニターに映し出された5人の表情はどれも自信と誇りに満ち溢れていて、ただ前だけを見詰める嵐がもうはちゃめちゃにかっこいい。コンサートをひとつの物語に例えるなら、その序章にぴったりの曲。


Green Lightのタイトル通り、前に前に歩みを進める嵐をこれでもかというほどに表現していて、メインステージに降り立った5人がステージ中央にゆっくりと集まるのを見て毎度のことだけど号泣するわたし。(コンサートが始まると毎回号泣するので母ももはや慣れた様子でハンカチを差し出してきました)

席的に5人の表情を肉眼で確認するのは難しかったので、Green Light丸々1曲号泣して切り替えてこ!と思っていたのですが、I'll be thereのイントロの湯切りシーン*1がWS等でも話題となった超巨大スクリーンに映ってまた号泣。

というかスクリーンの迫力がすごい。嵐が目の前(物理)で歌ってるううう!ってなります。毎回これにしてくれるなら喜んで寄付する。遠くの席でもこれなら余裕で表情が見えるだろうなって。それにしてもみんなイケメン……少女漫画クオリティでときめきがすごかった。

あの巨大スクリーンに抜かれる"Just one"のあいばちゃんさまの腰振りも勿論やばかったのだけど、"I'll be with you ... for you"の二宮くんの見下したような表情と指の角度、使い方がめちゃくちゃ色っぽくて、思わず「ずるいよぉ〜〜〜(号泣)」って叫んでました……やばいおたくとか言わないで、あっごめんなさいぃ……


ここから、風雲→Attack it!→Happinessの流れが嵐らしいブチあげ方でしぬほど好きなやつでした。風雲とAttack it!のオラオラした強気な曲調で会場のボルテージをMAXまで上げておいて、その熱気を落とさないまま、だけど少し落ち着いたHappinessに持っていくっていう。ほんとうちの末っ子すごいよ……深く考えていなかったけど、よく考えたら次の曲に向けて敢えてここで一度落ち着かせる必要があったのかもしれないとも今は思う。Attack it!のテンションのまま次いってたらたぶんわたしの気持ちが着いていかなくて死んでた。


Happinessの熱気を残した会場に響く、やさしいナレーション。5人の穏やかな声で紡がれる、あるひとりの旅人の物語。そして始まる、静かで、穏やかで、繊細で、やさしい、UBのイントロ。

二宮くんの「Litsen...」が会場を包み込んだ瞬間から、もう涙が止まらなくて、目の前で起こる、聴こえるすべての事象や音のひとつひとつが美しすぎてほんとうにただ泣くことしかできませんでした。UBはきっと二宮くんにとってもあいばくんにとっても、大切な曲で、もちろんわたしにとっても。なのでこれだけは別記事にさせてください。語りだしたら止まる自信がないので記事にしたらリンクか何かで追記します。しました↓↓↓

そんなUB後の翔潤ユニット曲Come Back。これがとにかく上がる。さっきまでのある種コンサートらしくない静寂を一気にコンサートに戻してくれる、煽りのプロたち。にのあいとは正反対なふたりのストリートっぽいユニット曲。翔潤不仲とか言ってるみんなはこれを見てくれ頼む……という気持ち。


そんな町でしょうさんと別れた潤くんが、お酒の入ったテンション高めなお兄ちゃんたちのいるお店に入るんだけど、音楽が流れ始めるとそのお兄ちゃんたちが息を呑むわけです。それが大野二宮松本の圧倒的なクオリティで繰り広げられる、夜の影。最初抜かれた白シャツを少しはだけさせた二宮くんの色気がすごくてくらくらした。あと大宮ちゃんが絡み合っていた……一言で表すなら、これも"美"っていう感じ。クオリティが高すぎるし顔面のレベルも高すぎる。息を呑んだお兄ちゃんたちの気持ちがめちゃくちゃわかる。わたしも息するの忘れてたもん……


夜の影の余韻がすごい中始まる謎の茶番。巨大スクリーンに映し出されるオタク三銃士のグループラインの画面、たぶんスクリーンのいちばん贅沢な使い方してたと思う。トトロやチワワ(©️櫻井翔)のラインスタンプ、渋谷ハチ公前で待ち合わせを取り決めた3人がチェックシャツイン、メガネ、リュックというTHE・オタクスタイルでまさかの登場、という現場でも問題作だった(褒めてる)バズりNIGHT。しかもそのあとJr.にオタ芸させてヤマンバギャルスタイルで再登場する大野櫻井相葉の強すぎる絵面……嵐のお兄ちゃんたちやばすぎる、さすがぶっ飛び方が尋常じゃない。しかも櫻井さんに至っては自ら乳首に穴開けてたからね……なんなん……


バズり終わり、「もう終わりでぇ〜す」とにやにやしながら出てくる末っ子ちゃん。かわいい。ヤマンバギャルズの髪の毛で遊ぶ潤ちゃん。末っ子らしくて愛しさが爆発しかけました……南無南無。ギャルズと共に捌けていくふたり。ん?あれ??待って??出てきた意味ある???あっもしかしてお兄ちゃんたちと遊びたかっただけ????ハァかわいい。ありがとうございます!!!!(大興奮)


そして再びナレーションをはさみ、つなぐに続きます。

偽りだらけの浮世でも この愛だけ信じていて

この歌詞を、アイドルという虚構の世界に生きているあらしがうたうのがほんっっっとうに美しくてだいすきで。2013年のLOVEの頃から思っていたのだけど、やっぱり壮大な愛をうたうのが嵐には似合いすぎているんですよね。信じて着いていくしかないじゃないですか……


ここから抱擁→お気に召すまま→Bittersweetの個人的激アツセトリがやばかった。抱擁のアダルティな感じももちろんだけど、それとは打って変わってお気に召すまま、Bittersweetで描かれる恋愛のきらめき。そのきらめきはアイドルとファンの関係性に少し似ていて、その世界を生き生きと楽しそうに生きるあらしがほんとうにキラキラ輝いて見えました。あの瞬間のあらしは、中でもいちばんアイドルしてたなあって。


GUTS!、Doorsはいつもの嵐らしくて安心。GUTS!がこんなに長く愛される曲になってくれて二宮担としてはとっても嬉しかったです。みんなで踊れて楽しいしね!

そしてSugar。コンサートに行けなかった二宮担はぜひDVDになったときSugarに注目してほしい……!!!Sugarの自担、割と本気でやばいので。サビ終わりの「〜〜Sugar」で毎回ピンで抜かれてたにのみやくん、指の使い方、表情、何をとってもお砂糖煮詰めたみたいなあまさでSugar中500回はとろけた。わたしが。あの顔されたら脳がとろける、殺人級のあまさでした。


NOW or NEVERはPVそのままの世界だったし、Prayはナレーションも相まってしぬほど切なくて心の奥がしめつけられるみたいだったけど、そんなPrayのあとの光の演出がちょうエモかったので聞いてほしい。

Prayで大切なひとを失って、光や色彩を失ったモノクロの世界で生きる主人公の世界に差し込む一筋の希望がこの光という曲だったんだなって思います。この曲を聴いた主人公は、まだ完全に気持ちを切り替えられたわけじゃないけれど、少しずつ前を向けるようになるんだなって。

恐れずに 顔上げて 闇の先 目を凝らせば
微かなあの 灯火が 僕らを導いている

二宮くんのそっと背中を押すようなやさしい声と、慰めてくれるようなメロディーが心にそっと染みていくような、そんなイメージ。

そしてサビで5人が「煌めく Light」と歌うたび、それまで道筋を示すだけだった一筋の光(メンステの照明)がぱあっと明るくなって、まるで外に繋がる扉を開いたみたいにドームをやさしく照らしていくんです。その光がわたしたちファンを照らすと、それまで光を失っていたペンライトにも光が灯ってひとりひとりに希望が灯っていく。考えたなあと、松本潤の偉大さを改めて知りました。ペンライト高いとか言ってごめん。


光を取り戻したドームに響く、君のために僕がいる、PIKA★★NCHI DOUBLE、ハダシの未来、Believe、Monsterという様々な希望のあり方を表した楽曲。

そして物語も最終章にさしかかり、5人が思い出すのは19年前の光景。ハワイでクルーザーに乗って会見をした、20歳にもなっていない頃の自分たち。懐かしむように、だけど笑い合うようにうたわれる、嵐の原点であるデビュー曲。大サビを、嵐という物語の登場人物であるわたしたちファンも巻き込んでうたう嵐。曲の最後は5人でしめくくって、幕を降ろした本編。5人の顔はとても優しくて晴れやかで、誇れるもので、この人たちに着いきてよかったと心から思いました。

ずいぶんと長く歩いてきた。
決して真っ直ぐな道ではなかったけれど。
振り返ると様々な景色が浮かんでくる。

光り輝き色褪せない記憶、
そのどれもが愛おしく感じる。

この先にはどんな道が続いているのだろう。

まだ見えない未来。
どんな出会い、どんな別れがあるかわからないけれど、思いのままに歩いていこう。

まだ旅は続いている。

19年、歩き続けたあらしがこのコンサートで初めて、ここで一度立ち止まるんです。自分たちの歩いてきた道を振り返り、愛おしむ。これまでただ前だけを見て、前に進み続けてきたあらしが。このナレーションは5人が並んで、手を繋いで、「色んなことがあったね」「この先どうなるんだろうね」「さあ、行こうか」なんて言葉を交わすみたいに、わたしには聞こえました。

ー ありがとう 君といた全ての奇蹟に ー

ー 同じ景色を同じ想いを 抱きながら歩いてきた ー

ー いつの日も 僕ららしく Get started ー

19年、あらしを中から見守り続けてきた、5人がバラバラになりかけたときは静かにメンバーを叱った、優しくて、柔らかくて、だけど世界一頼もしい最年長が歌い上げる感謝のことば。


曲調は一転、弾むようなピアノの音がこぼれるステージに現れる20年来の幼馴染のふたり。ひとりは歌も踊りもできないからと、デビューできないと思っていた。そしてもうひとりは、そんな幼馴染に助けられる形でデビューに至った。そんなふたりがうたう、デビュー当時の5人の姿。

聞きなれないネーミング 突然乗り込んだCruiser
まるでミステリー 展開の読めない期待とスリル

何はなくとも 僕らの前には Love & Music
君と夢を乗せて

キラキラした夢を乗せた、嵐という船が大海原に漕ぎ出したあのきらめきを丁寧に歌い上げる、シンメとして色んな舞台に立ち共に同じグループとしてデビューした運命力のありすぎるにのあいに「続編はこれから」なんて言われたら、わくわくするしかないでしょう?!?!


そして物語の10年後を、あらしの起爆剤であるふたりが語ります。

見上げる無数のバルーンが
都会の夜空を翔けてゆく

新しいページを開いてゆこう
動き出した夢の、もっともっと先へと

まだまだ物語の途中さ Yes

この曲の演出のずるいところは、その歌詞に応じた場面の写真が巨大スクリーンに歌詞と共に映し出されるところなのですが、このフレーズの後ろには10周年の記念コンサート@国立競技場で放たれたバルーンが文字通り都会の夜空を翔けてゆく様子が映し出されます。

こんなにもすごいことを、素晴らしい景色を見せてくれるにも関わらず「新しいページを開いてゆこう」「まだまだ物語の途中さ」と、その先の未来を見せてくれようとするあらし。「動き出した夢の、もっともっと先へと」手を引いてくれるひとたち。


それから時間は過ぎ、バルーンが空を翔けたあの日から5年後の未来を、5人が誇らしそうに、大切に歌います。

そして、もう一度 降り立ったこの楽園で
思い出したよ 僕らに刻まれた
ただひとつ変わらない 大事な合言葉

忘れない いつも"You are my soul"
届けたい ずっと"You are my soul"

さっき、19年前を思い出し歌った、原点であるデビューのフレーズを、あのころとはまた違った表情で、違った感情で大切に大切にひとりひとりに届けるように歌われて、泣かないひとはいないでしょ……ずるい………(号泣しながら)

物語はここで一旦終わりを迎えます。だけど5人は続けます。

新しいNovelの 真っ白なページに
どんな希望を どんな自由を
僕らは 書き記してゆくのだろう
Ah 限りない時間の向こうへ
連れてゆくよ This song for you

このお話は一旦終わるけれど、新しいNovelがあらしの手元にはあって、続編を記す気満々なんですよね。この先の未来、どうなるかなんて誰もわからないけれど、この歌を聴いてくれたひとを限りない時間の向こうに連れていく自信があるんですよね。


ですが、日本最高峰のエンターテインメントと言われる嵐のコンサートはこんなところじゃ終わりません。あらしはもう、新しい本の真っ白なページに、既にその続編を書き進めているんですね。それが、次に披露された「未完」。あらしの物語はまさに未完だし、たぶんこのひとたち、物語を完成させる気なんてまだまだなくて、その自信に満ち溢れた表情にしぬほどぞくぞくした。もう完敗ですよ、乾杯。



…………乾杯??カンパーーーーーイ!!!!!
ということで雑な繋ぎで申し訳ないけど、アンコールのカンパイ・ソングの話もさせてほしくてこうなりました。芸歴19年のトップアイドルが「お酒おいしい!」「明日もあるけど呑みたい!」「お酒は百薬の長だよね!」なんて曲を歌うとは思わないでしょ?!?!嵐は歌っちゃうんだよね!!!!なんならペンライト制御できるのをいいことに、ビールの黄金色にしちゃうんだよね〜〜〜!!4万5千人の「カンパーーイ!!」の大合唱、ほんっっっとに嵐らしい終わりで楽しかったの一言に尽きる……!!

「バイバーーーーイ!」「じゃーーねーーー!」って明るく楽しく、明日も明後日も会えることを約束された、大人も子供も嵐もファンも関係ない、友達みたいな別れ際。わたしのいちばんすきなあらしだったと思います。

これが終わったら、嵐もわたしたちも日常に戻るのだけど、年に1回こうやってみんなで呑んだくれて騒いでまた「じゃーーねーー!」って別れて、そんな時間がこれからも続いていくんだなあって。ちょっぴりの寂しさと沢山の希望の残るコンサートでした。

また次の冬もこのひとたちとバカ騒ぎできますように!頼んだよわたしの名義!!

*1:5人でスタイリッシュ湯切りしてるところがあるので気になったら検索してください

今年もやるヨ!自担大賞2017

も〜い〜くつね〜る〜と〜 おしょ〜がつ〜〜!!

ということで今年もこの時期がやってきました自担大賞!2017年もあと数日、これをやらなきゃ終われない!と思い立ち、ほぼノープランで書き始めていますので乱筆ご了承ください(土下座)


今年の目次はコチラ

1 楽曲部門
2 バラエティ部門
3 ベイスト部門
4 ダンス部門
5 にのあい部門

昨年設けていた演技部門なのですが、今年はラストレシピ一強なので割愛ということでご容赦ください。
それではさっそくはじめましょう!


*楽曲部門
2017年、個人的にはc/w大豊作の年だったなあと感じています。もちろんシングルA面は相変わらずのクオリティでしたし、アルバムに至ってはまだまだ挑戦し続ける嵐の野心に震えました。でもやっぱりc/wを語らずして今年の嵐は語れない……!というクオリティ。

そんな2017年楽曲大賞は、
抱きしめたい
です。
忍びの国主題歌である「つなぐ」通常版c/wのこの曲。まず、タイトルにきゅんとしない女子います?!なタイトル。しかも「抱きしめたい」って言ってるの嵐ですよ?!あの嵐ですよ?!?!(大事なので2回)
しかもタイトルからして彼女大好きソングかと思いきや、まさかの最近自分の仕事が忙しくてすれ違ってしまっている彼女に気持ちを伝えたいけど上手く伝えられないやきもきソング……(エモ死)あとメロディーが完全に秋冬、歌詞も人肌恋しくなる冬っぽい曲なのに夏発売という季節ガン無視感ですよ。それすら愛しいですね。もう夏でもなんでもいいので抱きしめてくれ。

この曲の二宮担的推しポイントは1番Aメロの

どうでもいいようなことなら
もっと上手くできるのに

の二宮くん。二宮くんの歌声を形容するのにこの言葉を使うの何百回目か忘れましたけど、ここの二宮くんはほんっっっっとうに生キャラメルみたいなあまくてやさしくてまろやかな声してるんですよ。いうなれば、ただの生キャラメルじゃなくて北海道産生キャラメルのような口どけ。いや北海道産生キャラメル食べたことないですけど。

しかもこの歌詞ですよ。あんなになんでも器用にこなす二宮くんが彼女のことになると気持ちを上手く伝えることができないっていうんですよ……かわいすぎか……エモすぎか………こうやって悩んでくれることがもうすでにいとしいですよね………ハァ。しかもこの曲、嵐担でもジャニオタでもない友達からいい曲だよねって言われましたし、二宮くんみたいなこんなかわいい彼氏がほしいという点も含めて今年の大賞にしました。どんな理由だよ。


*バラエティ部門
ぶいえす、しやがれ、ニノさんと今年の二宮くんもバラエティで大活躍していましたね!二宮くん自身が好きだと明言しているバラエティのお仕事は、わたしももちろん大好きですし、重たいおたくなので5人が揃うバラエティで二宮くんがにこにこ楽しそうにしているのを見ると母性が爆発してしまいます。

さて、そんな二宮くんの2017年バラエティ事情ですが、しやがれでは数々のプロアスリートの方々と対戦(ゲームの相手を)してもらったり、ぶいえすでは何をやっても褒められる圧倒的姫ポジを見せつけてきたり、ニノさんで芸人さんをいじって遊んだり……どの二宮くんもイキイキしててとてもよかった!のですが敢えて大賞を選ぶこの企画的には、
ニノさん「審B眼」
を大賞に選出させてもらいました。

この記事を書くにあたって自分のTwitterを見返していたのですが、


このツイートを見てこれだな〜って。
わたしは、というか二宮担みんなそうだとおもうんですけど、アイドルであることを全うしている二宮くんがどの二宮くんよりも好きで、このときの二宮くんはまさにそれだったなっておもうんです。普通34歳にもなったら「かわいい」と形容されることをよく思わない、あるいはそんなに嬉しくないっていうひとが多いのに、この道21年のアイドル二宮くんはうれしいんですよね。それがほんとうにうれしくて、二宮くんはアイドルであることを誇ってくれてるんだなって。これは個人的に文句なしの大賞かなと思います!


*ベイスト部門
2017年も数々の屁理屈、独自の理論、名言(迷言)を生み出してきた屁理屈ラジオベイストーム。毎週日曜22時の癒しであり多くの二宮担に体感3分と言わしめているこの番組での大賞は
(*.゚ω゚)嵐の人たちは草むらを元気に走り回ってましたよ、えぇ(笑)
です(笑)

いや嵐情報ないからってなにわかりやすい嘘ついてんね〜〜ん!って思ってたのにいざフタを開けてみるとJALのCMで草むらを走り回ってるっていう(笑)この流れが完璧すぎてめっちゃ笑いました。二宮くんにしてやられた感。これだから嘘か本当かわからなくて手のひらのうえで転がされるしかないんだよな〜〜!

そんなベイストに関しては年内の放送があと1回、しかも大晦日、紅白のド裏なのでどうなることやらなんですけど、年末もきわっきわまでがんばる二宮くんをみんなで応援しような!!


*ダンス部門
これめちゃくちゃ悩んだんです。今年の嵐もガンッガンに踊ってくれていたし、どれもはちゃめちゃにかっこよかったし、それぞれに良さがあってほんっっとに悩んだ……あいるびのスタイリッシュ湯切りもつなぐの5人がぎゅってなるところも大好きなんですけど、今年の大賞は、
NOW or NEVER
にさせてください。

なんと言っても二宮担的自担大賞ですからね、もう二宮和也という人となりをここぞとばかりに反映した大賞にさせてもらってます。パズドラやってます、ずっとパズドラしてます、楽しいですよパズドラ!なんてラジオでたぶん相葉くん/相葉さんに次ぐ頻出ワードなんじゃないかと思うくらいにパズドラパズドラ言い続けて、終いには音声のみのラジオでパズドラのガチャを引き始めるという自他共に認めるパズドラーの二宮くんが、パズドラのために作られたと言っても過言ではない曲をセンターで踊る姿に全二宮担が泣いた(たぶん)

しかもあんなキメッキメの顔で
(*.゚ω゚)パズドラが好きです
とか言うし。かわいいかよ。


*にのあい部門
今年も色んなにのあいがありましたね。暗闇脱出ゲームのにのあい、嵐 for dreamであいばくんを揃えようとするTOP……等々、その度に涙していた強火にのあい担のみなさん、にのあい大賞の発表です。
たぶん、いやきっと、絶対、必ず、にのあい担総意であろう今年のにのあい大賞はやはり
UB
でしょう。いやもうなんかすでに泣きそう。

にのあいの20年の集大成がこんな形で世に発表されるなんて思ってなかったし、とにかくコンサートのUBがやばい(らしい)わたしはオーラス参戦なのでまだ何も言えないのですが、生UBを見たみんながみんな「にのあいやばい」「UBやばい」などとやばい以外の語彙力を失い、にのあい担ではないおたくに「UBを見てないシンメ担は損してる」とまで言わせるUB……やばいでしょ………20年連れ添ったらお互いの関係性をユニットバスに例えるようになるんだなっておもいました。いい意味でしんどい。参戦後に(死んでなければ)ちゃんとブログに書くので、よろしくお願いします。



さて、ここまでお送りして来ました自担大賞2017ですが、今年の大賞of大賞はなんと言っても紅白歌合戦になるだろうなと思っています。

正直、決まったときはほんとに涙が止まらなかった。わたしの応援しているだいすきなひとが、ここまで来たんだなあって。日本の大晦日の顔に選ばれたんだなあって。そのとき発表されたコメントも、わたしのだいすきな二宮くんが詰まっていて、なんにも疑ってなかったけど改めて、二宮くんなら日本の年末を笑顔でいっぱいのものにしてくれる、2018年を笑顔で迎えさせてくれるっておもいました。二宮くんが年末のきわっきわまで働くなら、わたしも年末のきわっきわまで二宮くんを応援するからね!


今年のブログはこれで最後の更新です。2017年も読んで頂いたみなさんと、フォロワーさんと、嵐のお陰でこの飽き性のわたしがブログを続けることができました。いつの間にかブログの総アクセスも7万を超え、わたし自身とても驚いています(笑)最後になりますが、今年も本当にありがとうございました。来年もちまちま続けていく所存ですので、何卒よろしくお願いします!


2017.12.26
みなさまに素敵な年末年始が訪れますよう。