愛は百薬の長

わんわんにのちゃんを愛でる @619O319

「綺麗だね」って笑い合いたい

2019年1月28日15時15分。この記事を書いている。それも、バイト中に、バイト先の紙ナプキンに。態度の悪いスタッフでごめんなさい。


知っての通り、昨日1月27日の17時半ごろ、わたしの大好きな5人が2020年末で嵐としての活動を一旦休止することをFCで発表した。その発表を、というか、"嵐からグループに関わる重大な発表があったこと"をわたしはバイト先のお客様のざわつきで知った。(どんだけ社畜なのか)

わたしがこのことを知った詳しい経緯は後述するとして、わたしのTwitterをフォローしてくれている方ならお察しのとおり、わたしはこの件に関して涙ひとつこぼしていないわけで。今のところ、と言いたいところだけど、27日当日の会見の様子もMr.サンデーで視聴済みなので、たぶんこの件に関して涙を流すことはないだろうとおもっている。


じゃあなんでこんな記事書いてんの、ってとこだけど、その理由は大きく分けてふたつ。

ひとつめは、10年追い続けてきた大好きな5人の決断を、これまた大好きな二宮くんの言葉を借りるなら、「はいそうですか」なんてすんなり受け入れることは無責任であると感じたから。

そしてふたつめ。こっちのほうが主な理由なんだけど、きっとこれからわたしは、というかわたしたち嵐ファンは5人での話し合いが持たれた2017年6月以降の"嵐"を伝えてくれていた様々な媒体を反芻して、「あの時のこれはどうだった」、「この時はきっとこうだった」なーんて思いを巡らせてしまうと思う。それは仕方ないことだし、全然悪ではないし、もはや避けては通れない宿命みたいなもんだとすら思っている。けど、ここから先はわたし個人の考えになっちゃうんだけど、そうやって反芻することで、今、2019年1月28日の嵐が伝えたいことから、どんどん遠ざかってしまうんじゃないかとも思っていて。そう考えたときに、嵐が20年大切にしてきた"今"と"目の前"を、"今の気持ち"を大切にしたい。そう思ってこの記事を書くに至っている。


前置きがいつも以上に壮大になってしまったけど、まずはわたしがこの件を知るまでの経緯を記しておきたい。

1月27日17時半
バイト先で18時の上がり時間に備えていたわたしの周りで何やらお客様がざわつき始める。そのとき聞き取れた内容及び単語は「嵐が…」「これ悲しむ人どれだけいるんだろうね」「でも個人の活動はするってことでしょ?」「櫻井くんのコメント」だったので、てっきり翔さんが脱退してソロ活動を始めるのかと思った。

17時53分
店内が落ち着いたのでちょっとだけTwitterを覗く。(業務中、だめ、絶対)すると、嵐2020年で活動休止のTLと、メールボックスに新着メールがあることを知らせる①の表示。脱退じゃないんかーい!となる。

18時
バイトを終える。家には相葉担の母が待っているため、送られてきたFC動画を見るより先にネットで情報を集める。そこで

・嵐が2020年末でグループでの活動を一旦休止すること
・(語弊があるかもしれないけど)大野さんが発端であること
・LINEニュースに載せられていた二宮くんのコメント全文

を一通り読んで帰路に着き、取り急ぎネットに疎い母に「嵐2020年で活動休止だって」とだけLINEする。この時点で特に泣きそうとかもなく、「ああ、そうなんだ」って普通にすんなり受け入れている自分にちょっとびっくりしたけど、その帰り道、母とのLINEで「二宮くんが重病じゃなくてよかった」と言えている自分になんかちょっと安心したので、そのやりとりを載せておく。(ちなみにここまで紙ナプキン)


18時45分
家に着いてとりあえず母と話して、お互いの温度差がないことを確認してやっとFC動画を見た。(母と一緒に見ようと思っていたのに、母に先に見られていたのでひとりで見た)
恥ずかしながら速度規制が来ているので、動画は何回も止まったけど、大野さんが言い出しっぺであるという責任感と、申し訳なさと色んな負の感情が入り交じった顔でことの経緯を話してくれている最中は正直めちゃくちゃ不安だった。これは割りと本気で。リアルガチね。

でもそのあと、4人がほんとにいつもの嵐の雰囲気で、大好きな嵐そのままの雰囲気で、嵐という存在に、そして一番に伝えたかった嵐のファンに、誠実にそのままの言葉で伝えてくれるもんだから、すぐに「あ、これって前向きな活動休止なんだ」「大野さんが戻ってくるか来ないかはわからないけど、嵐が嵐でいるための選択なんだ」「だからわたしたちファンにもわかってほしいんだ」って理解した。その中で「僕らはずっと嵐です」って言ってくれたのは、やっぱり大好きな、世界一大好きな自担である二宮くんで、それですとんと納得できてしまったので、自担の言葉の偉大さを改めて感じたりもした。


そのあとTwitterを見ると、お通夜のようなTLで温度差をひとりで(正確に言うと母とふたりで)感じたりしていた。みんなの気持ちがわからないわけではないから、適切な言葉が見つからなくて声をかけることもできなかったので、ただただ20時に始まるらしい会見の様子が放送されるのを待つしかなかった。
今思えば、Mr.サンデーが放送される時間までの数時間は本当にお通夜のようだったと一夜明けた今でも思うので、お通夜だったんだと思う。


そんで、あとはたぶんみんなが見た通り、感じた通りに進んで行った。活動休止会見だっていうのに、突き抜けて明るいワイルドアットハートをBGMに登場した嵐が、どんよりお通夜ムードだったTLを、自分たちのことばで、表情で、どんどん絶望から掬いあげていって、その様子を見ながらやっぱり嵐ってすごいな、なんて思ったし、みんながちょっと士気を取り戻してくれたので単純に嬉しかった。ほんとにね。


FC向けの動画の中でも、発表されたコメントの中でも、会見の場でもおおのさんが「申し訳ない」って繰り返し言っていたのがすごく印象に残っている。だけどその度におおのさんの両隣に2人ずつ並んだメンバーが「いいんだよ」って優しい顔してて、その、ごめんね、いいよ、誰も悪くないよ、っていう空気が、とてつもなく嵐だなあと思った。

普段全然喋らないおおのさんが沢山喋る会見を、途中まで新鮮だなあと思いながら見てたけど、おおのさんがこんなに喋るのって、ちゃんと喋れるからっていうか、ちゃんと自分の中で、嵐の中で、この決断がガッチガチに固まってるからなんじゃないかなってぼんやり思った。固まりきってるから、嵐の中で誰ひとりとしてこの決断に疑問を呈してないから、自信を持って喋れるんだって。


話はちょっとズレるけど、例の記者のした不躾な質問に、半ば喧嘩を買うような形で応対した翔さんが、正論を振りかざして先陣切って嵐を守る姿はめちゃくちゃにかっこよかったし、そのあとの二宮くんの「リーダーが悪者に見えてるのなら、それは僕らの力不足です」って発言も、嵐が嵐を20年背負ってきたからこそのそれでめちゃくちゃ痺れた。わたしの好きなあらし、こんなとこでも発揮されたら逆に困っちゃうよ〜〜などと言いながら会見を見終えた気がする。



こんなときまで、嵐は嵐だった。そりゃそうだよね、嵐が嵐でいられるための決断をしましたっていう会見なんだから。会見を見終えて、おおのさんの決意と、それを尊重させつつ、5人みんなが納得できるところに着地させた嵐があまりにも嵐らしくて、もう仕方のないことだったんだなって、その日3度目くらいの納得をした。

わたしも含めファンだったり、マスコミだったり、一般視聴者は、もしかしたら「もうだめかもしれない」って一瞬でも思ったかもしれないのに、会見での嵐は、嵐が嵐を諦めたことは一瞬たりともなかったみたいな語り口で、いやきっと実際そうで、「なに勝手に諦めてるんだよ」と言われた気すらした。


あれから、おおのさんの気持ちを色々考えてみた。まあ実際のところは本人にしかわからないから推察の域を出ないけど、きっとおおのさんが"自由になりたい"と天秤にかけ続けていたのは"嵐を続けて不自由なままでいること"なんかじゃなくて、もっと単純な"嵐をやめたくない"だったんじゃないかなと思う。

きっと絶対、計り知れないくらい悩んだんだろうな、相反する気持ちの中で。もういい大人で、自分ひとりの問題がみんなの問題になる中で、悩んで悩んで、それでもやっぱり自由を選びたくて、でもそれは虫が良すぎるからもう手放さざるを得ないと思ってたんだろうなって。そしたら4人が、手放さなくてもいいじゃんって言ってくれたんだろうなって。

どっちかしか取れないと思ってただろうおおのさんに、どっちも取ればいいじゃんって言ってくれたのは他でもない4人で、嵐がこういう人間性の人たちの集まりだから好きなんだよなあって、なんか一周まわって悔しくなってしまった。嵐は誰よりも嵐に対して正直で、誠実で、潔い人たちの集まりだから、おおのさんに1ミリでも戻りたいって意思がなかったら、感じ取れなかったらきっと休止じゃなくて解散を選ぶような人たちじゃん。それに、会見のおおのさん見てたらやっぱり嵐やめたいわけじゃないんじゃんって普通に思っちゃった。ほんとに、言われてる通り夏休みだよって。



で、ここからは2021年以降のわたしたちファンの話になるんだけど。
まず、こういうときに「ファンってなんて無力なんだろう」って言う人いるじゃん。わかる、気持ちは痛いほどわかるし、実質的にファンってほんとに無力だなあと思うことが多々ある2018年だったから尚更。
だけど、たぶん嵐はそんなこと思ってなくて、むしろ誰よりもファンの力をわかってるから2年も前に発表して50公演もやって、ってしてるんだろうなって。だってほんとに無力だと感じてるなら、それこそ発表してよーいドンでやめてるでしょ。そういうとこが好きなんだけど。


でも、ファンが選べるのは「了承してついて行く」か「受け入れられずに離れる」かのどちらかってもう決まってて。自由論述形式じゃなくて選択制なのよこの問題。いつだってそうだったし、嵐に限ったことじゃない。で、選択肢が2つしかない選択制の問題の選択肢の内容に「なんでこれしかないの?」って言ったところで、別の選択肢が現れるわけじゃないから、厳しいけどこればっかりは選ぶしかなくて、でもこの問題あと2年解いてていいよってことだと思うんですよ、わたしはね。20年続けてきた本人たちが1年半かけて答えた問題を、2年解いてていいらしい。大盤振る舞いすぎてちょっと笑える。
だから2020年のけつのけつがきた時に、わたしも含め嵐ファンのみんながそれぞれの答えを選び取れてたらいいなって今は思ってます。



今抱いてる気持ちと、3ヶ月前に記した気持ちが全く変わってないことから考えるに、たぶんこの先も変わらないだろうから一応わたしの思いは記しておきます。以下、しがないおたくの決意表明だと思って受け流してください。

わたしのおたくスタンスに、"推しが一番輝くのは推しの見る夢とファンの見る夢がぴったり重なった時だ"っていうのがあって。前々から思ってたんだけど、二宮くんがアカデミー賞の最優秀賞を獲ったときのスピーチを聞いたとき、泣きながらこの考えが確信に変わったんです。これが欲しかった二宮くんとこれをとって欲しかったファン。双方の願いが、想いが重なったときの輝きをそのとき知ってしまったんです。

お前の夢は俺の夢だ、なんてどこの少年漫画だよって感じだけど、わたしは二宮くんが、嵐が見る夢を一緒に見たい。同じ方向を向いて、"今、目の前"から目をそらさずに、この人たちと生きていきたい。

確かにちょっとだけ俯きかけてしまったけど、1年半かけてこの結論に至ったその瞬間から、嵐にはかなりのリーチを取られてると思うんです。気持ちの面で。だからわたしはそのリーチをこの2年で取り戻したいんです。だって嵐が嵐として、5人で前に進むって決めた限り、下ばっか向いてこの場に立ち止まってたら置いていかれるし。気付いたときに嵐が見えなくなってたら嫌だし。


と同時に、永遠なんてないってほんとことある事に言う二宮くんが、自分のことはウソばっかりつく二宮くんが、嵐に関しては真正面から何もウソなんてつかずに「僕らはずっと嵐です」って言ってるから。永遠を信じてない二宮くんがすがってしまう嵐が、もし、万が一なくなってしまったとき、気持ちに寄り添うことはしたいけど、一緒にずっと泣いてばかりいるようなファンでありたくはないから。それも含めて、エゴかもしれない、自己満かもしれないけど、二宮くんが希望を持てなくなった時に希望を見続けてあげられるファンでありたいから、前を向くことに決めました。


「実質的に解散」とかほざいてるメディアもいるけど、わたしが10年見てきた嵐は、誰ひとりとして"嵐"を中途半端に投げ出さない5人なわけで。そんな人間性の人たちだから好きになったわけで。
休止はもう決定事項だけど、2021年以降、嵐が休止のままフェードアウト的に解散を発表するなんて、例え全世界みんなが許したとしても、それは誰よりも嵐が、嵐自身が許さないだろうし。

2021年以降、嵐が世間から忘れ去られないようにするために、おおのさんといつでも嵐としてまた歩き出せるように、5人は"嵐"を残したんだろうし。きっとおおのさんがお休みしてる間も、4人は"嵐・櫻井翔"として"嵐・相葉雅紀"として"嵐・二宮和也"として"嵐・松本潤"として、今よりもっともっと頑張るんだろうなと思う。
また同じ方向を向いてくれたときに、「また一緒に歩きたい」って思ってくれたときに、おおのさんが「俺のせいで人気が落ちた」とか、誰も思ってないのに思っちゃうかもしれないから、そんなバカなこと1ミリも思わせないために、4人は頑張るよ。だってあの人たちは、わたしのすきな嵐は、バカみたいに優しいんだもん。



いつ戻ってくるかなんてほんとに誰にもわからないんだろうなって今は思います。だけど、いつかは絶対来るし、きっと沢山の解答の中から、ほかでもない嵐自身が、嵐が一番嵐らしくいられる答えを選び取ってくれてるから。


再始動は絶対ある。
だって中途半端に嵐を投げ出すなんてことは絶対にしない5人だから。その再始動が続けるための再始動なのか、最高のフィナーレに向かうための再始動なのかは誰にもわからないし、きっと嵐にもまだわからないんだろうけど、また、5人が揃って同じ方向を向けたときに、みんなで手を繋いで新しい1歩を踏み出すよ、それが嵐だから。


最初のほうに「もう泣かないと思う」とか書いたけど、もしかしたら、いや絶対無理だなと今になって思っている。今は泣かないけど、きっと2020年12月31日は一日泣いてる。だって嵐が好きだから。でもそれは悲しくて寂しいだけの涙じゃなくって、約2年かけてわたしたちファンを大切に大切にしてくれた嵐の優しさとか愛に包まれて、ああ、なんて幸せなんだろうっていう涙でもあるんだろうなあ。なんて言うか、暫しの別れがこんなにも寂しいと思える存在に出会えて、その人たちからも大切にされて、愛されているっていう事実に、幸せすぎて泣いちゃうよ、きっと。


そして、その幸せを抱きしめながら、噛み締めながら、いつか絶対来るいつかを待ちます。

だから、その時がきたら、何度目だっていいよ、またはじめようよ。