愛は百薬の長

わんわんにのちゃんを愛でる @619O319

私のアイドル・二宮和也くん

今週のお題「私のアイドル」


今週のお題が「私のアイドル」ということだったので、改めて二宮くんのおはなしをします。


このお題で記事を書くにあたって、そもそもわたしにとってアイドルってなんなんだろう?どういう存在なんだろう?と考えたのですが、明確にこれと言った答えは出なくて、まあ、強いて言うなら色々な感情や色々な景色、知らない自分を教えてくれる存在かなあ、と。


さて、わたしがアイドルである二宮くんを語る前に、語らなければならないひとがもうひとりいます。おなじ嵐の櫻井翔くんです。

先日誕生日を迎えた彼は、わたしと嵐を引き合わせてくれた恩人のようなひと。二宮くんを担当する前に担当していたしょうさんもまた、当時小学生だったわたしに色々な感情や色々な景色、知らない自分を教えてくれました。

例えば、誰かを全力で応援することの素晴らしさ。
あらしやしょうさんがいるだけで、毎日がきらきらと輝いて、わたしの気持ちが届くようにとCDやDVDを買ったり番組を見たり。その気持ちに対して、コンサートで「ありがとう」って満面の笑顔で言ってくれるあらしを、しょうさんを見るたびに「全力で応援してきてよかった」って気持ちになった。

例えば、誰かに憧れて何かを頑張る力。
しょうさんに憧れた当時小学生だったわたしは、彼の母校である慶應大学に入るべくそれまで以上に勉強を頑張りました。結局夢半ばに終わってしまったけど、勉強の楽しさを教えてくれたのは間違いなくしょうさんだし、あの日々は決して無駄じゃなかったと思います。

例えば、今まで知らなかった世間の色々。
興味のなかった報道番組も、しょうさんが伝えてくれていたから自分から進んで見るようになったし、そのお陰で時事問題に強くなったし、その習慣は今でも続いています。

例えば、こんなにも誰かを好きになることができる自分。
誰かを好きになるっていうのはこういうことなんだなって心から思わせてくれたのはしょうさんで、ほかの誰よりも世界でいちばんだいすきなひとですって胸を張って言える、初めてのひとでした。


こんなふうに、当時小学6年生だったわたしに沢山の感情を、景色を、自分を教えてくれたのは紛れもなくアイドル・櫻井翔くんでした。今思えば、彼じゃないと知ることができなかったものも沢山あるけれど、それを踏まえて、ここからは今のわたしを支えてくれているアイドル・二宮和也くんについておはなしします。


二宮くんを好きになってまず知ったのは、自分が思っている以上に自分が弱いこと。
少し暗いはなしになるけれど、わたしは中学生の頃、いわゆるいじめを受けていました。その内容は割愛しますが、学校に行きたくなくて、でも行かなくちゃいけなくて、誰にも言えなくて、親にも友達にも先生にも心配かけたくなくて、ずっと強がって黙って、つらくて、でも泣けなくて、自分の存在意義も見失って、何度も何度もいなくなりたいって願ってたんです。

そしたらね、二宮くんが言ってくれたの。

僕らはそんな弱くは無い でも強くもないから
だから泣いていいんだ 恥ずかしい事じゃない
明日がある人しか出来ない事だから 明日への合図だから。

って。弱い自分を認めてしまったら、泣いてしまったら、心配かけてしまうから強くいなくちゃいけないと思っていたわたしに、二宮くんが言ってくれた「泣いていいんだ」。弱くても、泣いてもいいんだよ、って言ってくれてほんとうに救われて。


それと同時に、この二宮くんのソロ曲「どこにでもある唄。」を聴いて、立ち上がれる強さがある自分にも気づくことができた。

ほら息を吸ってはいて。生きている。
一歩一歩 歩いている。ただそれだけでいい…
大丈夫。僕らはずっとここにいるよ。

存在意義を見失ってしまっていたわたしに、生きているだけで、一歩ずつ歩いているだけでいいんだよって、そんな言葉をかけてくれたのは二宮くんで。「ずっとここにいるよ。」と言ってくれる二宮くんに、俯いて止まってないで、立ち上がって歩きだす勇気をもらって、弱いけれど立ち上がることのできるわたしがいることを教えてもらいました。



それから、二宮くんにもわたしと似たような過去があることを知って、そんな二宮くんに、暗い過去があるひとでもそれにとらわれずに輝ける場所がきっとあることを教えてもらいました。
何よりも、画面の向こうで、ステージで誰よりもきらきらと輝いている、誰よりも楽しそうに笑っている二宮くん自身がその証明で、わたしの希望でした。それは今も。

いじめに関して言えば、二宮くんもつらかっただろうな、しんどかっただろうな、悲しくてもう二度とあんな経験したくないだろうなって、勝手に思っていたのだけど、そんなとき彼が「嵐が嫌われるなら、いじめに慣れてる俺が嫌われ役になる」と発言していたのを知って、いじめの被害者は「ひとの痛みをわかってあげられるひと」になれることを知りました。事実としてはとってもつらくて悲しいことでも、その経験からやさしくなる方法を教えてくれたのもまた、二宮くんでした。


あれから7年、わたしの世界で誰よりも輝きを放っているアイドルは変わらず二宮くんです。

二宮くんのことをおもうと、あったかくてやさしくて穏やかなこれまでの思い出たちがあふれてきて、泣けちゃうくらいいとおしくてたまらない。

ずっと変わらない、「自分にできる仕事だからオファーが来ている」っていう二宮くんのお仕事に対するスタンスは、自分に置き換えて新しいことに挑戦するときに何度も思い出すし。

「僕のビューティフルワールドは、この4人と見る、この景色です」と国立競技場の真ん中で語った二宮くんを思い出しては、そんな仲間を持てるように頑張ろうと思えるし。

アカデミー賞を獲ったときのスピーチで、物欲のあんまりない二宮くんが「(最優秀賞が)欲しかった」と言っていたのを珍しいなって思っていたら、後日「賞はファンのみんなや、支えてくれている方のために欲しかった」と一途で語る二宮くんが、あまりにもやさしくてその回を読んではうれしくて何度も泣いたし。

普段は全然素直じゃなくて、本心なんて見せてくれないくせに'08年の24時間テレビでメンバーだけじゃなく、わたしたちに向けても「6人目の嵐のみなさん。大好きです。感謝しています。ありがとう。」って、大切なときはびっくりするくらい素直に気持ちを伝えてくれる二宮くんの姿は、いつも誰よりも、あらしやスタッフさんやファンを想ってくれていて、わたしの誇りです。

何よりも、嵐としてステージに立っている二宮くんが、4人と楽しそうに話している二宮くんが、嵐のはなしをしている二宮くんが、どんなお仕事をしているときより、どんな現場にいるときより、わたしのだいすきな笑顔を浮かべるから、そのたびにまた、泣きたくなるくらいのいとおしさが胸にこみ上げてきます。


これから先、降りかかるかもしれない色々な困難を一緒に越えていきたいとおもえるひと。

そんな困難を越えた先の未来を、一緒に見たいと、一緒に笑い合いたいと、つい願ってしまうひと。

なんなら彼のこの先の未来が、幸せなできごとだけでできていたらいいのにとおもうし、

できることなら、来世も再来世も、あいばさんとじゅんくんと、しょうさんとおおのさんに出会って、あらしになってほしいし、

「これ以上はないから(有機物には生まれかわりたくない)」なんて言う二宮くんに、おこがましいかもしれないけど、これ以上を見せてあげたい、なんて思ってる。


過ごしてきた日々に比例するように増えていく好きの気持ちと、日に日に素敵になっていく、明日にはまた違う顔を見せてくれる二宮くんに、振り回されながらこれからも着いていかせてください。

昨日よりも今日の二宮くんがすきです。
今日よりも明日の二宮くんのほうがもっとすきです。
明日よりも一週間後の二宮くんが、
一週間後よりも一ヶ月後の、一年後の二宮くんが、
今よりずっとだいすきになるんだろうなあ。


小学生の頃、しょうさんに教えてもらったより、もっともっと沢山のだいすきを伝えたくなって、伝えても伝えてもいつまでも追いつかないくらいだいすきな、わたしのアイドル・二宮和也くん。

この先も、色々な感情を知るとき、新しい景色を見るとき、新しい自分を見つけるとき、心の中にいるのが二宮くんでありますように。