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愛は百薬の長

その丸まった背中が好きよ

担当を名乗るということ

私事


どうも。お久しぶりです。みづきです。
ブログをサボってたわけではないのだけれど、なんか気が乗らなくて、書こう!と思っても指が進まなくて、所謂スランプに陥っていたのですが、復活致しました。1ヶ月弱の間、もし待っていてくれた人がいたならありがとうございます(涙)


なんて挨拶はここまでにして、今日はいつもの二宮くん大好き!っていうテンションじゃない重たい記事を書きます。復帰して1発目が重たい記事とかアレですけど、今流行りの「担当」について。ジャニオタ歴、というより嵐オタ歴10年弱のわたしが今、改めて考える担当について。長くなると思いますが、それでもいいよ!って人は読んで貰えたら嬉しいです。



まず、担当って何ぞや?っていう人に今更だけどざっくり説明。
担当とは、ジャニーズ事務所所属のアイドルのファン、所謂ジャニオタが使うファン同士の呼称。(たぶん。)二宮くんを応援しているわたしは「二宮担当」だし、翔さんを応援してる人なら「櫻井担当」、と自分の応援しているアイドルの名字+担当の形で使われることが多いジャニオタ用語
「誰担?」「〇〇担だよ」の会話は最早ワンパッケージと化してる気がする。

ここでみなさんに分かってほしいのが、
担当=推しではなくて
担当≒推しだということ。

結果から言って、今回の記事の結論はこの2行に凝縮されます。ジャニオタならわかるんじゃないかな、この感覚。何となく推し担当じゃ概念が違うってことです。似て非なるもの、とはまさにこのこと。その違う部分をわたしの経験を踏まえながら掘り下げていくのでお付き合いください。


まず、担当の本来の語意は

一定の事柄を受け持つこと。

だそう。じゃあ一定とは?

一定
・決まっていて変わらないこと。
・決めた状態にすること。ある決まった状態・もの。ある決めた状態・もの。

らしい。

けど、よく考えたらジャニオタの使う担当は最初から「あなたは二宮くん担当ね。あなたは相葉くん担当ね。」なんて決められていたわけじゃないし、ある時ふとポケモンに出てくるサトシの言う「キミに決めた!」みたく決めるわけでもない、と思う。ジャニオタの言う担当は、気付いたらなってるものなんじゃないかと思う。


以前2回ほど記事にしたように、わたしは嵐担歴10年弱のうち、3~4年は櫻井翔担当としてオタ活をしていた。ひょんなことから二宮和也担当として生きることになったんだけど、そのへんの経緯については前の記事を参考にしてね。


今では立派な二宮担のわたしだけど、櫻井担から二宮担になる変遷期、少しだけ嵐と距離を置いていた時期がある。これは初出しの話です。理由はまあ色々あるけど、他の趣味が忙しかったりとか、不器用だからひとつのことにしか熱中できなかったからとか、ざっくり言うとそういうこと。2年とは言わないけど、そのくらいの期間、嵐は好きだけど茶の間になっていた。

その時期のわたしはまだ自覚としては櫻井担だったし、茶の間なわたしの隣でオタクをしていた母と一緒に嵐を見る時は翔さんを応援していたし目で追っていた。だけど、これは今だから言えるんことなんだけど、たぶん櫻井担であることに迷ってたんだろうと思う。一番が揺らぎ始めていたから。

そのとき熱中していた趣味は、ニコニコ動画に動画を投稿している歌い手を追うこと。ふわっとした概念だったり、遊びだったり、部活だったりじゃなくて、具体的にこの人っていう人がいた。そう、櫻井翔くんと何ら変わらない1人の人間を応援していた。一番好きな人が揺らいでたんだよね。だから茶の間になった。表向きは櫻井担だと言っていたけど、最早櫻井担だと名乗ることに、嵐の櫻井翔くんが一番好きだと言うことに、少し罪悪感を感じながら過ごした。だってもう櫻井くんはわたしの一番じゃないのかもしれない、と思い始めてたから。全然そんなことないんだけど、ジャニオタのみんなはもっと優しいんだけど、そう名乗ることで誰かに責められるんじゃないかと思ってた。


冒頭で担当≒推しだと言った理由に、ここで少し触れたいと思う。担当と推しはイコールじゃなくてニアリーイコール、つまりすごく似てるんだけど少し違う、とわたしは思っていて。ある特定の人やものを応援する、っていう点では同じなんだけど、「推し」の語源である「推す」という動詞の語意は

・人や物事を、ある地位・身分にふさわしいものとして、他に薦める。推薦する。
・あることを根拠として、他のことを判断する。推し量る。
・さらに突き詰めて考える。

というみっつ。ドルオタ界における「推し」の意味に近いのはひとつめだと思うんだけど、書いてある通り、推薦するっていうこと。例えば、某秋葉系アイドルグループでいうと「A子ちゃんを総選挙で1位にしてあげたい」、この場合の推しはA子ちゃんだけど、1位という地位に、センターという身分に推薦していることになる。1位になったら、良かったね、嬉しいね、頑張ったもんね、ってA子ちゃんが1位にふさわしいものとして公に認められたことが嬉しい、んだと思う。


だけど、ジャニーズに総選挙はないから、1位っていう地位もセンターっていう身分も、わたしたちの応援している彼には与えられない。事実として認められる1位ではなくて、自分の信じる1位をジャニオタはいつも心の中に想っている。でも総選挙がないってことは、推薦する場がないということ。それなら何を持ってその人を推しているのか、っていう話になってくるんだけど、それは彼の顔だったり性格だったり歌だったりダンスだったりトークだったり、色んな才能だったりだと思う。ここまでは推しとほとんど変わらない。

じゃあ担当って何なのか。
それは1番にしてあげたい人、ではなくて、誰が何と言おうと自分の中では1番の人だとわたしは思います。最初の最初に書いた、担当という単語の本来の語意である一定の事柄を受け持つこと、つまり決まっていて変わらないものを受け持つことの何が「決まっていて変わらない」のか。それは自分の中での一番なんだと思う。そして何を受け持つのか。これはわたしの持論だけど、受け持つものはその人がアイドルである理由だと思ってます。

個人的な意見で恐縮すぎるんだけど、イメージとして「推し」は外側から応援して推し上げてあげるイメージで、「担当」はその人の全てを受け入れた上でこの人の車に乗って走っていこう、みたいな内側からのイメージ。わかりにくいかもしれないけどニュアンスだけでも伝わってくれ。

だからジャニオタは担当を「辞める」じゃなくて「降りる」って言うんだと思う。今まで一番だと思って乗っていた車から「降りる」ようなものだから。

だからジャニオタは担降りブログを書いちゃうんだと思う。今までずっと一緒に走ってきた愛車を降りて、別の車に乗り換えるんだから、そりゃ愛着湧いてるでしょうよ。今までありがとう、って言いたくなるでしょうよ。


「わたしは〇〇担です。」

こんな短い文章だけど、その中には「わたしは、自分の中で一番好きな〇〇くんを受け持っています。」っていう一番のキラキラが詰め込まれてて、その一番キラキラした君とどこまでも走っていきたいから、君がアイドルである理由でありたいから、人生背負う覚悟で言ってるような気がする。少なくともわたしはそういう覚悟で言ってる。


そうやってぐるぐる考えた結果、わたしは茶の間からオタクに戻ったときに「わたしの担当は櫻井翔くんじゃなくて二宮和也くんだ。」って思ってしまったんだよね。今でももちろん、翔さんのことは大好きだし他の3人のことも大好きだけど、美世界コンに参加したあの日から誰に何を言われても揺るがないわたしの一番だと胸を張って言えるのは翔さんじゃなくて二宮くんになってしまってて。

理想の王子様で結婚したい対象だった翔さん。じゃあもし仮に翔さんがわたしじゃない他の誰かと結婚したら?そう考えたときに、わたしは翔さんのファンを続けられる自信がなかったし、他の誰かのものになってしまった翔さんのファンであることに意義を感じられなくて、櫻井翔くんがアイドルである理由になるには、足りないなって思った。もっと言うと、そんな自分を、櫻井翔くんがアイドルである理由にしたくなかったしなりたくなかった。でも翔さんには、それ以上の気持ちを抱けなかった。

だけど、掴みどころがなくて、歌もダンスもトークも器用にこなす二宮くんにはそれ以上の気持ちを抱けてしまった。何でも器用にこなすのに、顔だって整ってるのに自分の性格を過小評価したり「写真を撮られるのが苦手だ」なんてアイドルらしからぬことを言ったりする。その癖アイドルしてるときが一番楽しそうに無邪気に笑う。そんな変わり者の二宮くんにアイドルでいてほしかったし、二宮くんがアイドルである理由のほんの一部になりたいと強く思ってしまった。変わり者の二宮くんがこれから歩くであろう、キラキラな未来を一緒にどこまでも見たいと思ったから。

だからわたしは、それまで一緒に走ってくれた櫻井翔くんに「ありがとう」を告げて、二宮和也くんに担降りしました。

それから早6年、担降りしたことに後悔はちょっともない、って言ったら嘘になるけど、だってスキャンダルめっちゃ出るしでも後悔はほとんどないです。というかスキャンダル出ても好きでいられる自信がめちゃくちゃにあるんだよね。恋愛対象としてだけじゃなくて、生き方とか言葉のセンスとかアイドルとしてのスタンスとか、人として大好きな部分が沢山ある人だから。恋愛対象としての二宮くんが揺らいでしまっても、二宮和也っていう人間はブレないから、たぶんきっと、いや絶対好きなままでいられる。そんな謎の自信に満ち溢れています。



担当を名乗るということは、胸を張って、誰に何を言われても、わたしの一番はこの人ですと言えること。

担当を名乗るということは、彼がアイドルである理由でありたい、と願うこと。

めちゃくちゃ重たいかもしれないけど、わたしの「担当」という言葉に対する覚悟はこれです。アイドルっていう職業はきっと、二宮くんが一番キラキラ笑える仕事だと思うから。それなら二宮くんがアイドルでいられるように、この先もずっと5人で笑えるように、わたしは二宮くんがアイドルである理由でありたい。



ファンが1人でもいる限り、アイドルはアイドルなんだから。